行った場所


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2010年10月22日金曜日

10月9日 223日目 ヨルダン→イスラエル 祈りの先に

イスラエルにやって来た

世界で一番

問題を抱えている国

イミグレーションから

その匂いがぴんぴん伝わってくる

まず

俺はここでスタンプを別紙に押してもらうことが

最初のミッションなのです

イスラエルのスタンプがあると

国交の無い

シリア

レバノン

イランの

国々には行けなくなる

そして

それらの国の

スタンプやビザを持っていると

なかなか押してくれないと言う話を聞いていた

そんなこんなで

イミグレーションでの問答

俺は

緊張しながら

質問に答えた

俺は

イスラム国である

スーダンの

渡航暦があった

どうやらそれがひっかかり

俺のパスポートは別室に運ばれた

(押されたらどうしよ…)

これから

陸路で

シリアを抜けて

トルコに行く俺には

スタンプは絶対に

あってはならないのです

そして

別室に運ばれている間

待つこと

30分

帰ってきた!

スタンプは!?

別紙に押されてる!

やったー!!

最初の難関をクリアーし

もう一安心

後は

イスラエルを見ていこう

まず

イスラエルの旧市街を周ってみた

狭い路地を

さ迷い

歩いた

ところどころに

軍人がいる

いままで

銃を持って

歩いている警察がたくさんいたが

こっちの軍隊は

雰囲気が全然違う気がした

陳腐な表現ですが

「本気」でした 笑

ぐるぐる回っている間にたどり着いたのは

有名な

「嘆きの壁」

ユダヤ教の聖地である

エルサレム神殿

それが破壊され

唯一残った

西側の壁

ユダヤ教徒は

ここに祈りを捧げます

黒ずくめに

変ったモミアゲのユダヤ人が大勢来てました

そこから

また旧市街をぐるぐる周りましたが

旧市街は

まるで迷路で

案の定

迷いながら帰りました

そして

宿にもどり

そこから

ゆっくり

ゆったりしていました

そこでは

ヨルダンで出会った人が

何人かいて

そこで情報をたくさんもらいました

やっぱり

イスラエルは物価が高いらしい…

節約だな…

そして夜になり

今日の日没から

嘆きの壁で

写真が取れるということで

もう一度

嘆きの壁に行ってきた

すると

昼間のときよりもはるかに多い

ユダヤの人々

みんな

熱心に

祈り続けていた

なぜだろう

何も

わからないけど

言いようのならない感情になった

なぜだろう

こんなに祈り続けるのは

祈る内容は

旧約聖書ではあるんだけど

そこに

乗っかる

あなた達の感情は

あなた達の思いは

あなた達の祈りの先に見えるものは

一体何なのですか?

そう思えるような光景でした

そこで

一緒に行った

オナガとトモ君と

宗教の話になった

そこで興味深い言葉

宗教は生活規範の一部になっているのではないかと言うこと

確かにそうかも

生まれてきてから

ずっと

同じことの繰り返し

宗教は

生活に溶け込んで

当たり前のこと

祈ることはあたり前のこと

業務的にやっている部分はあるのではないかと

日本でも

小さい頃から言われていた

迷信や伝えられてきた話を

信じていた

例えば

ご飯を残しちゃいけない

ご飯には神様が住んでいるから

そんな感じに

宗教は

言わば

その人のアイデンティティなんだ

日本では少し薄いと考えられているけど

そんなことは無いと思っている

宗教を強く信じている人達は

生まれた頃か宗教が近くにあって

それに寄り添って大きくなっていく

イスラムの人は生まれたときから

豚は食わず

アッラーを唯一神として

メッカに祈りを続ける

などなど

キリスト教徒は

生まれたときから

キリストを救世主とし

教会で祈りを捧げる

などなど

ここイスラエルでは

主にユダヤ教

それでは日本人は?

日本人は

宗教観の弱い人間

そうゆう解釈が

世間一般だと

僕は考えている

よく

旅をしていると

「神を信じるか?」

と言う質問を受ける

僕は

いつも

「サムタイムス」

と答える

それを聞くと

大体の人は笑う

そして大半は説教をはじめ

中には怒る人もいる

そんな日本人は

かわいそう

と思われることも

サムタイムス

僕はそうは思っちゃいない

僕は浄土真宗ですが

全くそのことをしりません

むしろ天理教のほうが詳しいでしょう

じゃあ僕にとっての宗教は何なのか

宗教が

生活規範の一部とするならば

僕の宗教は

紛れも無く「人」でしょう

僕が今まで生きてきて

その生活の中

寄り添うのは

人からの

言葉

行動

その他もろもろ

人がいなければ

今の僕は無いし

今こうやって考えて生きているのも

誰かが伝えてきたものが

僕にも伝わってきたからです

日本は

それを

固定の宗教を通さず

受け入れる環境が

整っているのではないかと考えました

日本人ほど

人に寄り添い

あらゆるものを

共有できる人間は

いないでは無いかなと

僕は

どんなものでも

食べれるし

どんな教えも

信じれる

逆もまた

然り

そんな

日本に生まれた僕は

幸せを感じずにいられません

僕の宗教は

家族

友達を含む

出会ってきた人達です

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