2010年10月24日日曜日
10月11日 225日目 イスラエル 死海ミッション
死海
そこは
地球で一番低いところ
生き物が住めない海
塩分濃度世界最高
体が不思議と浮くことで有名な場所
そんな死海に
今日行ってきました
ヨルダンから行けるんですが
イスラエル側がきれいということで
イスラエルを選択しました
バスで片道2時間ほど
走ると
出てきました
死海!!
テンションあがってきてます
海に近づくと
もうすでに浮いてる方々か
そこで
みんな水着に着替えました
しかし
僕だけ
海パンを持っていなかったので
トランクスで突撃です
おそる
おそる
海に入り
一歩
二歩
三歩
そして足が着かなくなった
その瞬間
フワっ
フワフワ
ふわふわふわ
ひゃー
体が浮いた!!
スカイウォークです
それ歩くとこんな感じなのでしょう!!
フワっ!!
フワッ!!
ですよ
モーリ・スカイウォーカーの誕生です
しかし
ここは塩分濃度最強の
死海
口に入ると
しょっぱいを通り越して
苦い
苦い
更には
僕の体には
昨日オリーブとりで出来た
無数のかっちゃき傷
と
あせもができてた
そこに激痛が走る!!
傷口に塩とは正にこのこと
痛いのなんのって
あまり長いこと海には入ってられませんでした
しかし
僕らは死海では
各自研究課題を持って
取り組みました
一緒に行った
なおきさんは
大人の対応で
後見人に
一緒にいたトモ君は
バスケをし
きゅうりを死海漬けにしていました
結果は…
バスケの絵面はなかなか面白く
成功といった感じでしたが
きゅうりの死海漬けは
完全に苦かったです 笑
そして僕は
顔をつけるのも恐ろしい死海で
もぐってからジャンプすると言う
荒業に挑戦しました
結果…
抜群の浮力で
勢いよく発射しすぎて
パンツが脱げ
ち○こが丸見えになりました
そして最後
オナガのミッション
この死海で
逆立ちをし
犬神家のポーズをとる
と言う内容
結果は…
森亮介の
2010年最大の
衝撃映像となりました 笑
これは文章ではあらわせられません
知りたい方は是非ご一報を 笑
いやー
満足
満足
死海に入ったおかげで
傷口もしっかりとふさがっていました
帰りのバスは満員バスで
運良く座れたけど
途中で乗ってきたおばあちゃんが
俺の前でよろけて
苦しそうだったので
席を変らざるを得ませんでした 笑
その後
明日も一泊する予定だったが
オナガのケアレスミスにより
明日急遽
アンマンに帰ることに
10月10日 224日目 イスラエル 壁の向こう側
皆さんご存知の通り
ここイスラエルは
ややこしいことに
「パレスチナ自治区」
が存在します
現在パレスチナ側は
イスラエルとは別と言うことで
分離壁で
仕切られている状態になっています
外国人は
ここはすんなり通れますが
パレスチナの人達は
諮問認証など
通るのにも一苦労のようです
僕達は
昨日宿であった
日本人の方に誘ってもらい
「イスラエル兵に息子が捕まり、人手不足になったオリーブ農家の手伝い」
に行ってきました
ここでしかありえないシチュエーションです 笑
バスに乗り
タクシーに乗り
着いたのは
素朴な村
ちょっぴり歩くと出てきたのは
いっぱいのオリーブの木
僕らの
オリーブ取りは始まりました
結構
プチプチ取れる感じは
楽しい
合間合間に
おばちゃんから
紅茶サービスもあり
作業も淡々と進んでいく
1時ぐらい
飯が出てきた
ご飯とチキン!!
最近インスタントラーメン生活だった
俺には後光がさして見えました
でもなぜかご飯の中には
パンみたいなものが入ってました 笑
そして飯を食った後も
仕事がはかどるはかどる
周りにある木の
オリーブは
ほとんど取り
おっさんに
「上に行こうぜ」
と言われ
おっ!
そろそろ終了か?
と思いきや
上にも数本あり
継続しました
どうやら
日本人のピッキング能力が
予想外だったようで 笑
そして
予定では
3時に終わるところ
余裕の二時間押しの
5時ぐらいに終わりました 笑
そこから
パレスチナ側の話を聞きました
最近は
壁がどんどん増築されていて
どんどん領土を狭くされているということ
領土を狭くなると
道をふさがれ
今まで30分でいけたところに
周り道をして2時間かかるようになり
ソコの土地で農業をしている人は
職を失う
そうやってイスラエルは
生活しづらい環境を作って
パレスチナ人を追い出そうとしているようだ
パレスチナ人は本当にイスラエル人を嫌ってる
だからこそ
僕らは話を鵜呑みにすることは出来ない
どちらにも言い分はある
僕らには判断できない
パレスチナ人はまた奪うことで
自分達の土地を取り戻そうとしている
そうやって
同じことを繰り返すことに
自分がされて嫌なことは
他の人にしてはいけません
でも
された人は
何もしないまま我慢すればいいの?
そうすれば争いが生まれないのかな?
いつか
一緒に住んでいる
イスラエル人とパレスチナ人が
オリーヴを一緒に収穫できる日が
来ますように
2010年10月22日金曜日
10月9日 223日目 ヨルダン→イスラエル 祈りの先に
イスラエルにやって来た
世界で一番
問題を抱えている国
イミグレーションから
その匂いがぴんぴん伝わってくる
まず
俺はここでスタンプを別紙に押してもらうことが
最初のミッションなのです
イスラエルのスタンプがあると
国交の無い
シリア
レバノン
イランの
国々には行けなくなる
そして
それらの国の
スタンプやビザを持っていると
なかなか押してくれないと言う話を聞いていた
そんなこんなで
イミグレーションでの問答
俺は
緊張しながら
質問に答えた
俺は
イスラム国である
スーダンの
渡航暦があった
どうやらそれがひっかかり
俺のパスポートは別室に運ばれた
(押されたらどうしよ…)
これから
陸路で
シリアを抜けて
トルコに行く俺には
スタンプは絶対に
あってはならないのです
そして
別室に運ばれている間
待つこと
30分
帰ってきた!
スタンプは!?
別紙に押されてる!
やったー!!
最初の難関をクリアーし
もう一安心
後は
イスラエルを見ていこう
まず
イスラエルの旧市街を周ってみた
狭い路地を
さ迷い
歩いた
ところどころに
軍人がいる
いままで
銃を持って
歩いている警察がたくさんいたが
こっちの軍隊は
雰囲気が全然違う気がした
陳腐な表現ですが
「本気」でした 笑
ぐるぐる回っている間にたどり着いたのは
有名な
「嘆きの壁」
ユダヤ教の聖地である
エルサレム神殿
それが破壊され
唯一残った
西側の壁
ユダヤ教徒は
ここに祈りを捧げます
黒ずくめに
変ったモミアゲのユダヤ人が大勢来てました
そこから
また旧市街をぐるぐる周りましたが
旧市街は
まるで迷路で
案の定
迷いながら帰りました
そして
宿にもどり
そこから
ゆっくり
ゆったりしていました
そこでは
ヨルダンで出会った人が
何人かいて
そこで情報をたくさんもらいました
やっぱり
イスラエルは物価が高いらしい…
節約だな…
そして夜になり
今日の日没から
嘆きの壁で
写真が取れるということで
もう一度
嘆きの壁に行ってきた
すると
昼間のときよりもはるかに多い
ユダヤの人々
みんな
熱心に
祈り続けていた
なぜだろう
何も
わからないけど
言いようのならない感情になった
なぜだろう
こんなに祈り続けるのは
祈る内容は
旧約聖書ではあるんだけど
そこに
乗っかる
あなた達の感情は
あなた達の思いは
あなた達の祈りの先に見えるものは
一体何なのですか?
そう思えるような光景でした
そこで
一緒に行った
オナガとトモ君と
宗教の話になった
そこで興味深い言葉
宗教は生活規範の一部になっているのではないかと言うこと
確かにそうかも
生まれてきてから
ずっと
同じことの繰り返し
宗教は
生活に溶け込んで
当たり前のこと
祈ることはあたり前のこと
業務的にやっている部分はあるのではないかと
日本でも
小さい頃から言われていた
迷信や伝えられてきた話を
信じていた
例えば
ご飯を残しちゃいけない
ご飯には神様が住んでいるから
そんな感じに
宗教は
言わば
その人のアイデンティティなんだ
日本では少し薄いと考えられているけど
そんなことは無いと思っている
宗教を強く信じている人達は
生まれた頃か宗教が近くにあって
それに寄り添って大きくなっていく
イスラムの人は生まれたときから
豚は食わず
アッラーを唯一神として
メッカに祈りを続ける
などなど
キリスト教徒は
生まれたときから
キリストを救世主とし
教会で祈りを捧げる
などなど
ここイスラエルでは
主にユダヤ教
それでは日本人は?
日本人は
宗教観の弱い人間
そうゆう解釈が
世間一般だと
僕は考えている
よく
旅をしていると
「神を信じるか?」
と言う質問を受ける
僕は
いつも
「サムタイムス」
と答える
それを聞くと
大体の人は笑う
そして大半は説教をはじめ
中には怒る人もいる
そんな日本人は
かわいそう
と思われることも
サムタイムス
僕はそうは思っちゃいない
僕は浄土真宗ですが
全くそのことをしりません
むしろ天理教のほうが詳しいでしょう
じゃあ僕にとっての宗教は何なのか
宗教が
生活規範の一部とするならば
僕の宗教は
紛れも無く「人」でしょう
僕が今まで生きてきて
その生活の中
寄り添うのは
人からの
言葉
行動
その他もろもろ
人がいなければ
今の僕は無いし
今こうやって考えて生きているのも
誰かが伝えてきたものが
僕にも伝わってきたからです
日本は
それを
固定の宗教を通さず
受け入れる環境が
整っているのではないかと考えました
日本人ほど
人に寄り添い
あらゆるものを
共有できる人間は
いないでは無いかなと
僕は
どんなものでも
食べれるし
どんな教えも
信じれる
逆もまた
然り
そんな
日本に生まれた僕は
幸せを感じずにいられません
僕の宗教は
家族
友達を含む
出会ってきた人達です
世界で一番
問題を抱えている国
イミグレーションから
その匂いがぴんぴん伝わってくる
まず
俺はここでスタンプを別紙に押してもらうことが
最初のミッションなのです
イスラエルのスタンプがあると
国交の無い
シリア
レバノン
イランの
国々には行けなくなる
そして
それらの国の
スタンプやビザを持っていると
なかなか押してくれないと言う話を聞いていた
そんなこんなで
イミグレーションでの問答
俺は
緊張しながら
質問に答えた
俺は
イスラム国である
スーダンの
渡航暦があった
どうやらそれがひっかかり
俺のパスポートは別室に運ばれた
(押されたらどうしよ…)
これから
陸路で
シリアを抜けて
トルコに行く俺には
スタンプは絶対に
あってはならないのです
そして
別室に運ばれている間
待つこと
30分
帰ってきた!
スタンプは!?
別紙に押されてる!
やったー!!
最初の難関をクリアーし
もう一安心
後は
イスラエルを見ていこう
まず
イスラエルの旧市街を周ってみた
狭い路地を
さ迷い
歩いた
ところどころに
軍人がいる
いままで
銃を持って
歩いている警察がたくさんいたが
こっちの軍隊は
雰囲気が全然違う気がした
陳腐な表現ですが
「本気」でした 笑
ぐるぐる回っている間にたどり着いたのは
有名な
「嘆きの壁」
ユダヤ教の聖地である
エルサレム神殿
それが破壊され
唯一残った
西側の壁
ユダヤ教徒は
ここに祈りを捧げます
黒ずくめに
変ったモミアゲのユダヤ人が大勢来てました
そこから
また旧市街をぐるぐる周りましたが
旧市街は
まるで迷路で
案の定
迷いながら帰りました
そして
宿にもどり
そこから
ゆっくり
ゆったりしていました
そこでは
ヨルダンで出会った人が
何人かいて
そこで情報をたくさんもらいました
やっぱり
イスラエルは物価が高いらしい…
節約だな…
そして夜になり
今日の日没から
嘆きの壁で
写真が取れるということで
もう一度
嘆きの壁に行ってきた
すると
昼間のときよりもはるかに多い
ユダヤの人々
みんな
熱心に
祈り続けていた
なぜだろう
何も
わからないけど
言いようのならない感情になった
なぜだろう
こんなに祈り続けるのは
祈る内容は
旧約聖書ではあるんだけど
そこに
乗っかる
あなた達の感情は
あなた達の思いは
あなた達の祈りの先に見えるものは
一体何なのですか?
そう思えるような光景でした
そこで
一緒に行った
オナガとトモ君と
宗教の話になった
そこで興味深い言葉
宗教は生活規範の一部になっているのではないかと言うこと
確かにそうかも
生まれてきてから
ずっと
同じことの繰り返し
宗教は
生活に溶け込んで
当たり前のこと
祈ることはあたり前のこと
業務的にやっている部分はあるのではないかと
日本でも
小さい頃から言われていた
迷信や伝えられてきた話を
信じていた
例えば
ご飯を残しちゃいけない
ご飯には神様が住んでいるから
そんな感じに
宗教は
言わば
その人のアイデンティティなんだ
日本では少し薄いと考えられているけど
そんなことは無いと思っている
宗教を強く信じている人達は
生まれた頃か宗教が近くにあって
それに寄り添って大きくなっていく
イスラムの人は生まれたときから
豚は食わず
アッラーを唯一神として
メッカに祈りを続ける
などなど
キリスト教徒は
生まれたときから
キリストを救世主とし
教会で祈りを捧げる
などなど
ここイスラエルでは
主にユダヤ教
それでは日本人は?
日本人は
宗教観の弱い人間
そうゆう解釈が
世間一般だと
僕は考えている
よく
旅をしていると
「神を信じるか?」
と言う質問を受ける
僕は
いつも
「サムタイムス」
と答える
それを聞くと
大体の人は笑う
そして大半は説教をはじめ
中には怒る人もいる
そんな日本人は
かわいそう
と思われることも
サムタイムス
僕はそうは思っちゃいない
僕は浄土真宗ですが
全くそのことをしりません
むしろ天理教のほうが詳しいでしょう
じゃあ僕にとっての宗教は何なのか
宗教が
生活規範の一部とするならば
僕の宗教は
紛れも無く「人」でしょう
僕が今まで生きてきて
その生活の中
寄り添うのは
人からの
言葉
行動
その他もろもろ
人がいなければ
今の僕は無いし
今こうやって考えて生きているのも
誰かが伝えてきたものが
僕にも伝わってきたからです
日本は
それを
固定の宗教を通さず
受け入れる環境が
整っているのではないかと考えました
日本人ほど
人に寄り添い
あらゆるものを
共有できる人間は
いないでは無いかなと
僕は
どんなものでも
食べれるし
どんな教えも
信じれる
逆もまた
然り
そんな
日本に生まれた僕は
幸せを感じずにいられません
僕の宗教は
家族
友達を含む
出会ってきた人達です
10月8日 222日 ヨルダン ケアレスミス
10月7日 221日目 ヨルダン 首都アンマン
朝
ペトラを離れ
ヨルダンの首都
アンマンに到着
首都とは言えども
特に
何かあるわけでもなく
ただ忙しくなった感じです
ここでは
有名な日本人宿があります
その名も
マンスールホテル
またの名を
香田ホテル
この名は
昔
日本でも話題になった
イラクで拉致され亡くなった方から取った名前だそうで
実はここの
元従業員が
イラクに行くときの手配をしたということ
追憶の意味も込め
この名をつけたという
そんな宿は意外に快適で
従業員の方も
とっても優しいです
そんなアンマンで
今日は
オナガが古着市があるというので
ペトラで会ったトモ君も含め
街をぶらぶらしてみました
何かそれらしいのは
ありました
でも
特にといった感じでした
そして
そこから
僕らは
二日後に入国予定の
イスラエルに向けて
食料の買出し
イスラエルの物価は
中東の非にならないぐらい
高い
高い
人によっては
ヨーロッパ以上
という人も
それに向けて
僕らは
大量のインスタントラーメンと
ツナ缶を
仕入れました
これで怖いもの無しです
ペトラを離れ
ヨルダンの首都
アンマンに到着
首都とは言えども
特に
何かあるわけでもなく
ただ忙しくなった感じです
ここでは
有名な日本人宿があります
その名も
マンスールホテル
またの名を
香田ホテル
この名は
昔
日本でも話題になった
イラクで拉致され亡くなった方から取った名前だそうで
実はここの
元従業員が
イラクに行くときの手配をしたということ
追憶の意味も込め
この名をつけたという
そんな宿は意外に快適で
従業員の方も
とっても優しいです
そんなアンマンで
今日は
オナガが古着市があるというので
ペトラで会ったトモ君も含め
街をぶらぶらしてみました
何かそれらしいのは
ありました
でも
特にといった感じでした
そして
そこから
僕らは
二日後に入国予定の
イスラエルに向けて
食料の買出し
イスラエルの物価は
中東の非にならないぐらい
高い
高い
人によっては
ヨーロッパ以上
という人も
それに向けて
僕らは
大量のインスタントラーメンと
ツナ缶を
仕入れました
これで怖いもの無しです
2010年10月21日木曜日
10月6日 220日目 ヨルダン インディージョーンズ・最後の聖戦
今日
朝早く起き
ぺトラ遺跡に行った
たくさんの岩の中で
くりぬかれた
巨大な遺跡群
各場所に
いろんな名前の遺跡があるらしい
その中でも一番有名なのが
エル・ハズネ
ここは
インディージョーンズ最後の聖戦の舞台にもなった場所です
ここで
インディ教授は
わなをくぐりぬけ
聖杯を手に入れていれました
とりあえずその前で
ジャンプ
と
記念撮影
そこから
長いこと歩いていく
はじに着くと
そこには
砂
砂
砂
砂漠は
端が見えないぐらい
広大でした
地平線が走っていました
でか過ぎる大地は
海みたいに見えると初めて知りました
そして帰り際に
見ようと思っていた
遺跡群を見て周り
宿に着いた頃には
出発して6時間たっていました
結構飛ばしたけど
意外に時間がかかった
しかし
その後
テレビ番組の世界遺産を見ていたら
今見つかっている
ペトラの遺跡は
約1パーセントらしい
全部発見された日には
一体どうなってんのじゃ 笑
世界は
まだ
未知にあふれてるのですね
朝早く起き
ぺトラ遺跡に行った
たくさんの岩の中で
くりぬかれた
巨大な遺跡群
各場所に
いろんな名前の遺跡があるらしい
その中でも一番有名なのが
エル・ハズネ
ここは
インディージョーンズ最後の聖戦の舞台にもなった場所です
ここで
インディ教授は
わなをくぐりぬけ
聖杯を手に入れていれました
とりあえずその前で
ジャンプ
と
記念撮影
そこから
長いこと歩いていく
はじに着くと
そこには
砂
砂
砂
砂漠は
端が見えないぐらい
広大でした
地平線が走っていました
でか過ぎる大地は
海みたいに見えると初めて知りました
そして帰り際に
見ようと思っていた
遺跡群を見て周り
宿に着いた頃には
出発して6時間たっていました
結構飛ばしたけど
意外に時間がかかった
しかし
その後
テレビ番組の世界遺産を見ていたら
今見つかっている
ペトラの遺跡は
約1パーセントらしい
全部発見された日には
一体どうなってんのじゃ 笑
世界は
まだ
未知にあふれてるのですね
2010年10月20日水曜日
10月4日 218日目 エジプト→ヨルダン タダイマアジア
楽しかったダハブを
後にして
ヨルダンに向かうことにした
最後は
りゅうたさんとあすかさんが見送ってくれてた
お世話になりました
ありがとうございます
ここから
ヨルダンに抜けるに
フェリーに乗って行くしかないので
そこまでは
宿からミニバスへ向かう
そこでは
日本人のなおきさんと
中国人で日本語ぺらぺらのじゅさんと一緒になった
なおきさんとじゅさんに
とても興味深い話を聞かせてもらいながら
フェリーの出発地である
ヌウェバに着いた
そこから出てる
フェリーはスローボートとファストボートの二つが出てる
そこで安いほうのスローボートに乗りたかったが
本日はファストボートしか出ておらずということ
占めて80ドルになった
お財布の中が少し寂しくなった…
しかし
ボートの中は快適でした
スーダンからエジプトに行ったときとは
比べるまでもありません
ボートの中には
イミグレーションもあり
そこで
入国手続きも済ませます
二時間遅れで出発した船の中で
爆睡
着いてから
世界遺産がある
ぺトラまで
タクシーで向かうことに
そこで
ダハブで会った二人と
カナダの青年
そして
更に
中国の女性三人と
大所帯になっていた
とりあえずタクシーを捕まえることが出来たけど
運転手の運転が
平均120キロメートルの
ノーブレーキかつ余所見運転
助手席だった僕は
生きている心地がしませんでした 笑
ヨルダンに入った感情としては
光があまり無いけど
しっかりした道路があるので
エジプトよりは発展してないけど
そこまで
酷いという印象は受けなかった
そんなこんなで
2時間
ぺトラに着いた
そこで宿に着き
なおきさんと飯を食いに行った
そこで
なおきさんと
ヨルダン人で
ひと悶着があった
俺の
ヨルダン人に対する
第一印象が悪くなった
まぁとりあえず
来たばっかりだから
仕方ないか
明日
本当に
あいつが来るのか
不安です
後にして
ヨルダンに向かうことにした
最後は
りゅうたさんとあすかさんが見送ってくれてた
お世話になりました
ありがとうございます
ここから
ヨルダンに抜けるに
フェリーに乗って行くしかないので
そこまでは
宿からミニバスへ向かう
そこでは
日本人のなおきさんと
中国人で日本語ぺらぺらのじゅさんと一緒になった
なおきさんとじゅさんに
とても興味深い話を聞かせてもらいながら
フェリーの出発地である
ヌウェバに着いた
そこから出てる
フェリーはスローボートとファストボートの二つが出てる
そこで安いほうのスローボートに乗りたかったが
本日はファストボートしか出ておらずということ
占めて80ドルになった
お財布の中が少し寂しくなった…
しかし
ボートの中は快適でした
スーダンからエジプトに行ったときとは
比べるまでもありません
ボートの中には
イミグレーションもあり
そこで
入国手続きも済ませます
二時間遅れで出発した船の中で
爆睡
着いてから
世界遺産がある
ぺトラまで
タクシーで向かうことに
そこで
ダハブで会った二人と
カナダの青年
そして
更に
中国の女性三人と
大所帯になっていた
とりあえずタクシーを捕まえることが出来たけど
運転手の運転が
平均120キロメートルの
ノーブレーキかつ余所見運転
助手席だった僕は
生きている心地がしませんでした 笑
ヨルダンに入った感情としては
光があまり無いけど
しっかりした道路があるので
エジプトよりは発展してないけど
そこまで
酷いという印象は受けなかった
そんなこんなで
2時間
ぺトラに着いた
そこで宿に着き
なおきさんと飯を食いに行った
そこで
なおきさんと
ヨルダン人で
ひと悶着があった
俺の
ヨルダン人に対する
第一印象が悪くなった
まぁとりあえず
来たばっかりだから
仕方ないか
明日
本当に
あいつが来るのか
不安です
10月2日 216日目 エジプト ダハブでの暮らし
今日も
二人の後ろを付いていって
遊んできました
シュノーケリングは
昨日と違うポイントに行きます
シュノーケリングは
沖縄でもちょこっとやったことがありましたが
全く上手ではありません
沖縄とダハブでは
海のきれいさは
沖縄の離島の方がきれいかな
贔屓目に見てしまいますが
ダハブは
サンゴがでかい
一周するのにも
結構な時間がかかる位だった
そんな
海で
見る魚は
意外に小粒
でも
沖縄で見るような魚がたくさんいました
特に
タマンなどがいました
少し沖縄を
思い出した
二人の後ろを付いていって
遊んできました
シュノーケリングは
昨日と違うポイントに行きます
シュノーケリングは
沖縄でもちょこっとやったことがありましたが
全く上手ではありません
沖縄とダハブでは
海のきれいさは
沖縄の離島の方がきれいかな
贔屓目に見てしまいますが
ダハブは
サンゴがでかい
一周するのにも
結構な時間がかかる位だった
そんな
海で
見る魚は
意外に小粒
でも
沖縄で見るような魚がたくさんいました
特に
タマンなどがいました
少し沖縄を
思い出した
2010年10月3日日曜日
10月1日 215日目 エジプト ダハブ到着
楽園
みんなダハブのことは
こう呼ぶ
みんな
居心地がよくて
二週間は当たり前
1、2ヶ月いる人だってたくさんいるそうで
ここでは
主に紅海に面した
きれいな海
そこでみんなは
海水浴
シュノーケリング
スキューバダイビング
っを楽しむわけです
しかもそれが
格安で
もぐる人
海好きには
たまらない場所です
僕も
カイロであった
りゅうたさんとあすかさんの後ろ着いていって
シュノーケリングしました
すごい久々
そして
すごく楽しかったです
これなら
何日いてもいいと
思うのもわかる気がしました
しかし
俺は
少し急がなくてはいけないので
残念ですが
長居は出来ません…
みんなダハブのことは
こう呼ぶ
みんな
居心地がよくて
二週間は当たり前
1、2ヶ月いる人だってたくさんいるそうで
ここでは
主に紅海に面した
きれいな海
そこでみんなは
海水浴
シュノーケリング
スキューバダイビング
っを楽しむわけです
しかもそれが
格安で
もぐる人
海好きには
たまらない場所です
僕も
カイロであった
りゅうたさんとあすかさんの後ろ着いていって
シュノーケリングしました
すごい久々
そして
すごく楽しかったです
これなら
何日いてもいいと
思うのもわかる気がしました
しかし
俺は
少し急がなくてはいけないので
残念ですが
長居は出来ません…
9月30日 214日目 エジプト ダハブへ
今日
ダハブに行くためのチケットを買いました
そして
おいしいと言われた
コシャリを食いました
これも
うまかったです
これで
カイロに
未練はなくなりました
バスのぎりぎりまで
ダハブゲームというものをやりました
これから
行くダハブでは
大流行らしいです
やってみましたが
結構難しいです
奥が深いゲームでした
しかし
昨日の夜にやった
サファリゲームという
超ローカルゲームも
なかなか楽しかったです
夜0:15に
ダハブに向けて出発した
ダハブに行くためのチケットを買いました
そして
おいしいと言われた
コシャリを食いました
これも
うまかったです
これで
カイロに
未練はなくなりました
バスのぎりぎりまで
ダハブゲームというものをやりました
これから
行くダハブでは
大流行らしいです
やってみましたが
結構難しいです
奥が深いゲームでした
しかし
昨日の夜にやった
サファリゲームという
超ローカルゲームも
なかなか楽しかったです
夜0:15に
ダハブに向けて出発した
9月29日 213日目 エジプト 世界一有名な三角形
9月28日 212日目 エジプト カイロ到着
昨日の晩
ルクソールを出て
12時間の移動の末
カイロに到着
しかし
ここで
自分の大きなミスに気づく
地図が無い…
今
自分にある手がかりは
サファリというナの
宿があるということ
俺は
とりあえず
あたりの人に
聞きまくった
誰も知らない…
しょうがない
タクシーの運転手なら知っているかも
と思い
タクシーを止めて
話しかけると
「知っているよ」
といわれ
ほっと胸を撫で下ろし
連れて行かれると
着いたのは
「ヴィクトリアホテル」
全く違う 笑
違うわ
というと
なぜか
地下鉄で降ろされた
これは
もうスーダンで経験したんで
いいです
とりあえず地下鉄に入り
そこの職員に聞きまくった
すると
「サダットっていう駅に行けばとりあえず大丈夫」
といわれ
とりあえずサダットに行きました
そこの駅をでて
人に聞いたら
サファリの場所がわかりました
なんとかなりました 笑
そして宿にいると
今から日本に帰る人がいて
その人は俺の小学校中学校の同級生の先輩でした
遠いね 笑
そして
アスワンであったりゅうたさんと再会して
そこで
二人でハトを食いました
相当なビジュアルショックでした
ルクソールを出て
12時間の移動の末
カイロに到着
しかし
ここで
自分の大きなミスに気づく
地図が無い…
今
自分にある手がかりは
サファリというナの
宿があるということ
俺は
とりあえず
あたりの人に
聞きまくった
誰も知らない…
しょうがない
タクシーの運転手なら知っているかも
と思い
タクシーを止めて
話しかけると
「知っているよ」
といわれ
ほっと胸を撫で下ろし
連れて行かれると
着いたのは
「ヴィクトリアホテル」
全く違う 笑
違うわ
というと
なぜか
地下鉄で降ろされた
これは
もうスーダンで経験したんで
いいです
とりあえず地下鉄に入り
そこの職員に聞きまくった
すると
「サダットっていう駅に行けばとりあえず大丈夫」
といわれ
とりあえずサダットに行きました
そこの駅をでて
人に聞いたら
サファリの場所がわかりました
なんとかなりました 笑
そして宿にいると
今から日本に帰る人がいて
その人は俺の小学校中学校の同級生の先輩でした
遠いね 笑
そして
アスワンであったりゅうたさんと再会して
そこで
二人でハトを食いました
相当なビジュアルショックでした
9月27日 211日目 エジプト 王家の谷
今日は
王家の谷に向けて
チャリンコで行きました
昨日は
ピンクのチャリンこだったので
注目をがっちり浴びていたので
今日は
シックな色にしてみました
そして
肝心の
王家の谷は
俺のルートから行くと
一番遠いところにありました
最初は
警戒に飛ばしていたチャリンこも
最後
若干の上り坂が永遠に続くという
難関が待ち受けており
そこで苦労して
更には
そこは
パッと見
上り坂に見えないので
まるで自分の感覚が
おかしくなったと思い
発狂しそうでした
そして
やっとの思い出
王家の谷
到着
感想は
普通でした 笑
でも
行ってそんはありません
昔から憧れていた場所です
帰り道
若干の下り坂は
爽快でした
王家の谷に向けて
チャリンコで行きました
昨日は
ピンクのチャリンこだったので
注目をがっちり浴びていたので
今日は
シックな色にしてみました
そして
肝心の
王家の谷は
俺のルートから行くと
一番遠いところにありました
最初は
警戒に飛ばしていたチャリンこも
最後
若干の上り坂が永遠に続くという
難関が待ち受けており
そこで苦労して
更には
そこは
パッと見
上り坂に見えないので
まるで自分の感覚が
おかしくなったと思い
発狂しそうでした
そして
やっとの思い出
王家の谷
到着
感想は
普通でした 笑
でも
行ってそんはありません
昔から憧れていた場所です
帰り道
若干の下り坂は
爽快でした
9月26日 210日目 エジプト 頼んだ事はしかっりやる
9月25日 209日目 エジプト ルクソールへ
昨日
ツアーで一緒だった
りゅうたさんと
エジプトの定番料理
コシャリを食って
ルクソールに向かうバスに乗ることに
りゅうたさんは
そのままカイロに向かうので
ここでお別れ
そして
俺が
3:30発の
バスのチケットを買おうと
オフィスに向かい
そう述べると
「3:30はフル」
といわれてしまった
しかし五時半はあるということだったので
とりあえず2時間ほど待つことに
そして目の前を
3:30のバスが通っていったが
中を見てみたら
6人ぐらいしか乗っていなかった…
なんでじゃ
5:30のバスには
無事に乗る事が出来て
ルクソールに向かった
そして
五時間後
ルクソール到着
その後
すげーしつこい客引きにまけて
その宿に泊った
ツアーで一緒だった
りゅうたさんと
エジプトの定番料理
コシャリを食って
ルクソールに向かうバスに乗ることに
りゅうたさんは
そのままカイロに向かうので
ここでお別れ
そして
俺が
3:30発の
バスのチケットを買おうと
オフィスに向かい
そう述べると
「3:30はフル」
といわれてしまった
しかし五時半はあるということだったので
とりあえず2時間ほど待つことに
そして目の前を
3:30のバスが通っていったが
中を見てみたら
6人ぐらいしか乗っていなかった…
なんでじゃ
5:30のバスには
無事に乗る事が出来て
ルクソールに向かった
そして
五時間後
ルクソール到着
その後
すげーしつこい客引きにまけて
その宿に泊った
9月24日 208日目 エジプト アブシンベル
9月23日 207日目 エジプト 到着
9月22日 206日目 スーダン→エジプト どんぶらこ
昼に
エジプト行きのフェリーに乗り込んだ
その前の手続きが
何かとめんどくさかったけど
ちゃちゃっと済まし
そこから
乗船
なぜか中は
女性席と
男性席に分かれていた
イスラム教徒は
そこら辺は
厳格だそうである
俺は
最初から
知らずに女性席にいて
早めに行ったのにもかかわらず
移動させられ
狭い席に行くことに
そして
1時出発のところ
なぜかの
4時出発
そして
このフェリー
大きさは
沖縄の
座間味島に行く半分ぐらいしかない
そして
スピードも半分ぐらい
ゆっくり
ゆっくり
どんぶらこ
どんぶらこ
と進んでいきます
本当につくのかと思うほどです
そして
あっという間に
夜になり
よこに
アブシンベル神殿が現れました
いつの間にか
エジプトに入国してた
でも
着くのはアスワンという街なので
もう少しかかる
夜は明かさなきゃいけない
けども
ここは
寝床が無いので
甲板にでて
寝る羽目になった
夜は意外に涼しくて
ぴったり満月だったから
寝心地は
悪くない
エジプト行きのフェリーに乗り込んだ
その前の手続きが
何かとめんどくさかったけど
ちゃちゃっと済まし
そこから
乗船
なぜか中は
女性席と
男性席に分かれていた
イスラム教徒は
そこら辺は
厳格だそうである
俺は
最初から
知らずに女性席にいて
早めに行ったのにもかかわらず
移動させられ
狭い席に行くことに
そして
1時出発のところ
なぜかの
4時出発
そして
このフェリー
大きさは
沖縄の
座間味島に行く半分ぐらいしかない
そして
スピードも半分ぐらい
ゆっくり
ゆっくり
どんぶらこ
どんぶらこ
と進んでいきます
本当につくのかと思うほどです
そして
あっという間に
夜になり
よこに
アブシンベル神殿が現れました
いつの間にか
エジプトに入国してた
でも
着くのはアスワンという街なので
もう少しかかる
夜は明かさなきゃいけない
けども
ここは
寝床が無いので
甲板にでて
寝る羽目になった
夜は意外に涼しくて
ぴったり満月だったから
寝心地は
悪くない
9月21日 205日目 スーダン 国境へ
今日
早朝から
スーダンとエジプトの
国境へ向かうために
朝5時出発のバスに乗るために
お世話になっていた
NGOのスタッフの人に
送ってもらい
朝四時ぐらいに出発した
しかし
僕を含めて
三人で行ったのだが
道が誰もわからず
結構な時間迷った
そして
迷いに迷ったあげく
なんとか
到着
着いたのは5時ジャスト
急いで乗り込め!!
そう思い
焦って
駆け込むと
運転手が
「出発は6時です」
なんでじゃい…
5時って行ってたジャン…
取り敢えず
バスには
間に合って
ほっと胸を撫で下ろした
そして
ここで
NGOの方とは
お別れ
本当にありがとうございました
また
あえる日を楽しみにしています
そして
6時になると
出発
しばらくすると
街を出て
そこから
見渡す限り
砂
砂
砂
たまに
休憩所みたいなのが
ポツン
そして
また
砂
砂
砂
こいつは
すごかったです
気が狂いそうになりました 笑
でも
バスは快適で
ご飯と
コーラもでました
サービスいいね!
そして
10時間の末
国境の町に到着
これまた
何も無い街だった
そして
宿探すと
聞いた宿
全部が外にベッドだけ
これで
3ドルぐらいでした
すごいな
金取るなよ 笑
しかし
仕方ないので
お泊りしました
ちょっと昼寝すると
体中が砂だらけでした
明日の午後には
エジプトに向かうフェリーの中です
早朝から
スーダンとエジプトの
国境へ向かうために
朝5時出発のバスに乗るために
お世話になっていた
NGOのスタッフの人に
送ってもらい
朝四時ぐらいに出発した
しかし
僕を含めて
三人で行ったのだが
道が誰もわからず
結構な時間迷った
そして
迷いに迷ったあげく
なんとか
到着
着いたのは5時ジャスト
急いで乗り込め!!
そう思い
焦って
駆け込むと
運転手が
「出発は6時です」
なんでじゃい…
5時って行ってたジャン…
取り敢えず
バスには
間に合って
ほっと胸を撫で下ろした
そして
ここで
NGOの方とは
お別れ
本当にありがとうございました
また
あえる日を楽しみにしています
そして
6時になると
出発
しばらくすると
街を出て
そこから
見渡す限り
砂
砂
砂
たまに
休憩所みたいなのが
ポツン
そして
また
砂
砂
砂
こいつは
すごかったです
気が狂いそうになりました 笑
でも
バスは快適で
ご飯と
コーラもでました
サービスいいね!
そして
10時間の末
国境の町に到着
これまた
何も無い街だった
そして
宿探すと
聞いた宿
全部が外にベッドだけ
これで
3ドルぐらいでした
すごいな
金取るなよ 笑
しかし
仕方ないので
お泊りしました
ちょっと昼寝すると
体中が砂だらけでした
明日の午後には
エジプトに向かうフェリーの中です
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