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2010年10月24日日曜日

10月11日 225日目 イスラエル 死海ミッション


死海

そこは

地球で一番低いところ

生き物が住めない海

塩分濃度世界最高

体が不思議と浮くことで有名な場所

そんな死海に

今日行ってきました

ヨルダンから行けるんですが

イスラエル側がきれいということで

イスラエルを選択しました

バスで片道2時間ほど

走ると

出てきました

死海!!

テンションあがってきてます

海に近づくと

もうすでに浮いてる方々か

そこで

みんな水着に着替えました

しかし

僕だけ

海パンを持っていなかったので

トランクスで突撃です

おそる

おそる

海に入り

一歩

二歩

三歩

そして足が着かなくなった

その瞬間

フワっ

フワフワ

ふわふわふわ

ひゃー

体が浮いた!!

スカイウォークです

それ歩くとこんな感じなのでしょう!!

フワっ!!

フワッ!!

ですよ

モーリ・スカイウォーカーの誕生です

しかし

ここは塩分濃度最強の

死海

口に入ると

しょっぱいを通り越して

苦い

苦い

更には

僕の体には

昨日オリーブとりで出来た

無数のかっちゃき傷



あせもができてた

そこに激痛が走る!!

傷口に塩とは正にこのこと

痛いのなんのって

あまり長いこと海には入ってられませんでした

しかし

僕らは死海では

各自研究課題を持って

取り組みました

一緒に行った

なおきさんは

大人の対応で

後見人に

一緒にいたトモ君は

バスケをし

きゅうりを死海漬けにしていました

結果は…

バスケの絵面はなかなか面白く

成功といった感じでしたが

きゅうりの死海漬けは

完全に苦かったです 笑

そして僕は

顔をつけるのも恐ろしい死海で

もぐってからジャンプすると言う

荒業に挑戦しました

結果…

抜群の浮力で

勢いよく発射しすぎて

パンツが脱げ

ち○こが丸見えになりました

そして最後

オナガのミッション

この死海で

逆立ちをし

犬神家のポーズをとる

と言う内容

結果は…

森亮介の

2010年最大の

衝撃映像となりました 笑

これは文章ではあらわせられません

知りたい方は是非ご一報を 笑

いやー

満足

満足

死海に入ったおかげで

傷口もしっかりとふさがっていました

帰りのバスは満員バスで

運良く座れたけど

途中で乗ってきたおばあちゃんが

俺の前でよろけて

苦しそうだったので

席を変らざるを得ませんでした 笑

その後

明日も一泊する予定だったが

オナガのケアレスミスにより

明日急遽

アンマンに帰ることに

10月10日 224日目 イスラエル 壁の向こう側


皆さんご存知の通り

ここイスラエルは

ややこしいことに

「パレスチナ自治区」

が存在します

現在パレスチナ側は

イスラエルとは別と言うことで

分離壁で

仕切られている状態になっています

外国人は

ここはすんなり通れますが

パレスチナの人達は

諮問認証など

通るのにも一苦労のようです

僕達は

昨日宿であった

日本人の方に誘ってもらい

「イスラエル兵に息子が捕まり、人手不足になったオリーブ農家の手伝い」

に行ってきました

ここでしかありえないシチュエーションです 笑

バスに乗り

タクシーに乗り

着いたのは

素朴な村

ちょっぴり歩くと出てきたのは

いっぱいのオリーブの木

僕らの

オリーブ取りは始まりました

結構

プチプチ取れる感じは

楽しい

合間合間に

おばちゃんから

紅茶サービスもあり

作業も淡々と進んでいく

1時ぐらい

飯が出てきた

ご飯とチキン!!

最近インスタントラーメン生活だった

俺には後光がさして見えました

でもなぜかご飯の中には

パンみたいなものが入ってました 笑

そして飯を食った後も

仕事がはかどるはかどる

周りにある木の

オリーブは

ほとんど取り

おっさんに

「上に行こうぜ」

と言われ

おっ!

そろそろ終了か?

と思いきや

上にも数本あり

継続しました

どうやら

日本人のピッキング能力が

予想外だったようで 笑

そして

予定では

3時に終わるところ

余裕の二時間押しの

5時ぐらいに終わりました 笑

そこから

パレスチナ側の話を聞きました

最近は

壁がどんどん増築されていて

どんどん領土を狭くされているということ

領土を狭くなると

道をふさがれ

今まで30分でいけたところに

周り道をして2時間かかるようになり

ソコの土地で農業をしている人は

職を失う

そうやってイスラエルは

生活しづらい環境を作って

パレスチナ人を追い出そうとしているようだ

パレスチナ人は本当にイスラエル人を嫌ってる

だからこそ

僕らは話を鵜呑みにすることは出来ない

どちらにも言い分はある

僕らには判断できない

パレスチナ人はまた奪うことで

自分達の土地を取り戻そうとしている

そうやって

同じことを繰り返すことに

自分がされて嫌なことは

他の人にしてはいけません

でも

された人は

何もしないまま我慢すればいいの?

そうすれば争いが生まれないのかな?

いつか

一緒に住んでいる

イスラエル人とパレスチナ人が

オリーヴを一緒に収穫できる日が

来ますように

2010年10月22日金曜日

10月9日 223日目 ヨルダン→イスラエル 祈りの先に

イスラエルにやって来た

世界で一番

問題を抱えている国

イミグレーションから

その匂いがぴんぴん伝わってくる

まず

俺はここでスタンプを別紙に押してもらうことが

最初のミッションなのです

イスラエルのスタンプがあると

国交の無い

シリア

レバノン

イランの

国々には行けなくなる

そして

それらの国の

スタンプやビザを持っていると

なかなか押してくれないと言う話を聞いていた

そんなこんなで

イミグレーションでの問答

俺は

緊張しながら

質問に答えた

俺は

イスラム国である

スーダンの

渡航暦があった

どうやらそれがひっかかり

俺のパスポートは別室に運ばれた

(押されたらどうしよ…)

これから

陸路で

シリアを抜けて

トルコに行く俺には

スタンプは絶対に

あってはならないのです

そして

別室に運ばれている間

待つこと

30分

帰ってきた!

スタンプは!?

別紙に押されてる!

やったー!!

最初の難関をクリアーし

もう一安心

後は

イスラエルを見ていこう

まず

イスラエルの旧市街を周ってみた

狭い路地を

さ迷い

歩いた

ところどころに

軍人がいる

いままで

銃を持って

歩いている警察がたくさんいたが

こっちの軍隊は

雰囲気が全然違う気がした

陳腐な表現ですが

「本気」でした 笑

ぐるぐる回っている間にたどり着いたのは

有名な

「嘆きの壁」

ユダヤ教の聖地である

エルサレム神殿

それが破壊され

唯一残った

西側の壁

ユダヤ教徒は

ここに祈りを捧げます

黒ずくめに

変ったモミアゲのユダヤ人が大勢来てました

そこから

また旧市街をぐるぐる周りましたが

旧市街は

まるで迷路で

案の定

迷いながら帰りました

そして

宿にもどり

そこから

ゆっくり

ゆったりしていました

そこでは

ヨルダンで出会った人が

何人かいて

そこで情報をたくさんもらいました

やっぱり

イスラエルは物価が高いらしい…

節約だな…

そして夜になり

今日の日没から

嘆きの壁で

写真が取れるということで

もう一度

嘆きの壁に行ってきた

すると

昼間のときよりもはるかに多い

ユダヤの人々

みんな

熱心に

祈り続けていた

なぜだろう

何も

わからないけど

言いようのならない感情になった

なぜだろう

こんなに祈り続けるのは

祈る内容は

旧約聖書ではあるんだけど

そこに

乗っかる

あなた達の感情は

あなた達の思いは

あなた達の祈りの先に見えるものは

一体何なのですか?

そう思えるような光景でした

そこで

一緒に行った

オナガとトモ君と

宗教の話になった

そこで興味深い言葉

宗教は生活規範の一部になっているのではないかと言うこと

確かにそうかも

生まれてきてから

ずっと

同じことの繰り返し

宗教は

生活に溶け込んで

当たり前のこと

祈ることはあたり前のこと

業務的にやっている部分はあるのではないかと

日本でも

小さい頃から言われていた

迷信や伝えられてきた話を

信じていた

例えば

ご飯を残しちゃいけない

ご飯には神様が住んでいるから

そんな感じに

宗教は

言わば

その人のアイデンティティなんだ

日本では少し薄いと考えられているけど

そんなことは無いと思っている

宗教を強く信じている人達は

生まれた頃か宗教が近くにあって

それに寄り添って大きくなっていく

イスラムの人は生まれたときから

豚は食わず

アッラーを唯一神として

メッカに祈りを続ける

などなど

キリスト教徒は

生まれたときから

キリストを救世主とし

教会で祈りを捧げる

などなど

ここイスラエルでは

主にユダヤ教

それでは日本人は?

日本人は

宗教観の弱い人間

そうゆう解釈が

世間一般だと

僕は考えている

よく

旅をしていると

「神を信じるか?」

と言う質問を受ける

僕は

いつも

「サムタイムス」

と答える

それを聞くと

大体の人は笑う

そして大半は説教をはじめ

中には怒る人もいる

そんな日本人は

かわいそう

と思われることも

サムタイムス

僕はそうは思っちゃいない

僕は浄土真宗ですが

全くそのことをしりません

むしろ天理教のほうが詳しいでしょう

じゃあ僕にとっての宗教は何なのか

宗教が

生活規範の一部とするならば

僕の宗教は

紛れも無く「人」でしょう

僕が今まで生きてきて

その生活の中

寄り添うのは

人からの

言葉

行動

その他もろもろ

人がいなければ

今の僕は無いし

今こうやって考えて生きているのも

誰かが伝えてきたものが

僕にも伝わってきたからです

日本は

それを

固定の宗教を通さず

受け入れる環境が

整っているのではないかと考えました

日本人ほど

人に寄り添い

あらゆるものを

共有できる人間は

いないでは無いかなと

僕は

どんなものでも

食べれるし

どんな教えも

信じれる

逆もまた

然り

そんな

日本に生まれた僕は

幸せを感じずにいられません

僕の宗教は

家族

友達を含む

出会ってきた人達です

10月8日 222日 ヨルダン ケアレスミス

イスラム圏は

休日は

金曜日と土曜日が普通です

そんな金曜日には

古着市があります

と昨日

古着市を周ったと日記に書いたんですが

実は今日がその日

金曜日でした

誰一人そのことに気づかませんでした 笑

イスラエルも本当は

金曜日と土曜日がやすみになってしまうので

日曜日に行こうと考えていました

だけども

曜日を間違えてしまった僕達は

土曜日に出ることに 笑

仕方ない

本番の古着市は

意外に品物が豊富でした

多分掘り出し物が出てきそうな臭いがしました

ケニアの中古市(ソコ)を

思い出しました

10月7日 221日目 ヨルダン 首都アンマン



ペトラを離れ

ヨルダンの首都

アンマンに到着

首都とは言えども

特に

何かあるわけでもなく

ただ忙しくなった感じです

ここでは

有名な日本人宿があります

その名も

マンスールホテル

またの名を

香田ホテル

この名は



日本でも話題になった

イラクで拉致され亡くなった方から取った名前だそうで

 実はここの

元従業員が

イラクに行くときの手配をしたということ

追憶の意味も込め

この名をつけたという

 そんな宿は意外に快適で

従業員の方も

とっても優しいです

そんなアンマンで

今日は

オナガが古着市があるというので

ペトラで会ったトモ君も含め

街をぶらぶらしてみました

何かそれらしいのは

ありました

でも

特にといった感じでした

そして

そこから

僕らは

二日後に入国予定の

イスラエルに向けて

食料の買出し

イスラエルの物価は

中東の非にならないぐらい

高い

高い

人によっては

ヨーロッパ以上

という人も

それに向けて

僕らは

大量のインスタントラーメンと

ツナ缶を

仕入れました

これで怖いもの無しです

2010年10月21日木曜日

10月6日 220日目 ヨルダン インディージョーンズ・最後の聖戦

今日

朝早く起き

ぺトラ遺跡に行った

たくさんの岩の中で

くりぬかれた

巨大な遺跡群

各場所に

いろんな名前の遺跡があるらしい

その中でも一番有名なのが

エル・ハズネ

ここは

インディージョーンズ最後の聖戦の舞台にもなった場所です

ここで

インディ教授は

わなをくぐりぬけ

聖杯を手に入れていれました

とりあえずその前で

ジャンプ



記念撮影

そこから

長いこと歩いていく

はじに着くと

そこには







砂漠は

端が見えないぐらい

広大でした

地平線が走っていました

でか過ぎる大地は

海みたいに見えると初めて知りました

そして帰り際に

見ようと思っていた

遺跡群を見て周り

宿に着いた頃には

出発して6時間たっていました

結構飛ばしたけど

意外に時間がかかった

しかし

その後

テレビ番組の世界遺産を見ていたら

今見つかっている

ペトラの遺跡は

約1パーセントらしい

全部発見された日には

一体どうなってんのじゃ 笑

世界は

まだ

未知にあふれてるのですね

2010年10月20日水曜日

10月5日 219日目 ヨルダン お久しぶり

久々に

大学の同級生

オナガ(以下:OG)

に会いました

会って久々にしたことは

スーパーめぐりでした

10月4日 218日目 エジプト→ヨルダン タダイマアジア

楽しかったダハブを

後にして

ヨルダンに向かうことにした

最後は

りゅうたさんとあすかさんが見送ってくれてた

お世話になりました

ありがとうございます

ここから

ヨルダンに抜けるに

フェリーに乗って行くしかないので

そこまでは

宿からミニバスへ向かう

そこでは

日本人のなおきさんと

中国人で日本語ぺらぺらのじゅさんと一緒になった

なおきさんとじゅさんに

とても興味深い話を聞かせてもらいながら

フェリーの出発地である

ヌウェバに着いた

そこから出てる

フェリーはスローボートとファストボートの二つが出てる

そこで安いほうのスローボートに乗りたかったが

本日はファストボートしか出ておらずということ

占めて80ドルになった

お財布の中が少し寂しくなった…

しかし

ボートの中は快適でした

スーダンからエジプトに行ったときとは

比べるまでもありません

ボートの中には

イミグレーションもあり

そこで

入国手続きも済ませます

二時間遅れで出発した船の中で

爆睡

着いてから

世界遺産がある

ぺトラまで

タクシーで向かうことに

そこで

ダハブで会った二人と

カナダの青年

そして

更に

中国の女性三人と

大所帯になっていた

とりあえずタクシーを捕まえることが出来たけど

運転手の運転が

平均120キロメートルの

ノーブレーキかつ余所見運転

助手席だった僕は

生きている心地がしませんでした 笑

ヨルダンに入った感情としては

光があまり無いけど

しっかりした道路があるので

エジプトよりは発展してないけど

そこまで

酷いという印象は受けなかった

そんなこんなで

2時間

ぺトラに着いた

そこで宿に着き

なおきさんと飯を食いに行った

そこで

なおきさんと

ヨルダン人で

ひと悶着があった

俺の

ヨルダン人に対する

第一印象が悪くなった

まぁとりあえず

来たばっかりだから

仕方ないか

明日

本当に

あいつが来るのか

不安です

10月3日 217日目 エジプト のんびりゆったり

今日は

シュノーケリングは控え

ぷかぷか

浮いていました

明日ヨルダンに向かいます

はー

エジプト楽しかったなー

10月2日 216日目 エジプト ダハブでの暮らし

今日も

二人の後ろを付いていって

遊んできました

シュノーケリングは

昨日と違うポイントに行きます

シュノーケリングは

沖縄でもちょこっとやったことがありましたが

全く上手ではありません

沖縄とダハブでは

海のきれいさは

沖縄の離島の方がきれいかな

贔屓目に見てしまいますが

ダハブは

サンゴがでかい

一周するのにも

結構な時間がかかる位だった

そんな

海で

見る魚は

意外に小粒

でも

沖縄で見るような魚がたくさんいました

特に

タマンなどがいました

少し沖縄を

思い出した

2010年10月3日日曜日

10月1日 215日目 エジプト ダハブ到着

楽園

みんなダハブのことは

こう呼ぶ

みんな

居心地がよくて

二週間は当たり前

1、2ヶ月いる人だってたくさんいるそうで

ここでは

主に紅海に面した

きれいな海

そこでみんなは

海水浴

シュノーケリング

スキューバダイビング

っを楽しむわけです

しかもそれが

格安で

もぐる人

海好きには

たまらない場所です

僕も

カイロであった

りゅうたさんとあすかさんの後ろ着いていって

シュノーケリングしました

すごい久々

そして

すごく楽しかったです

これなら

何日いてもいいと

思うのもわかる気がしました

しかし

俺は

少し急がなくてはいけないので

残念ですが

長居は出来ません…

9月30日 214日目 エジプト ダハブへ

今日

ダハブに行くためのチケットを買いました

そして

おいしいと言われた

コシャリを食いました

これも

うまかったです

これで

カイロに

未練はなくなりました

バスのぎりぎりまで

ダハブゲームというものをやりました

これから

行くダハブでは

大流行らしいです

やってみましたが

結構難しいです

奥が深いゲームでした

しかし

昨日の夜にやった

サファリゲームという

超ローカルゲームも

なかなか楽しかったです

夜0:15に

ダハブに向けて出発した

9月29日 213日目 エジプト 世界一有名な三角形

エジプトで

一番有名な遺跡と言えば

これ

ピラミッドですね

イヤー見てきました

でかいですね

ほんとにでかい

でかい

それ以外は

よく分かりません 笑

そして

その傍らには

スフィンクスが

横たわっていました

でも

スフィンクスは

いじめられた子どもみたいに

顔が

ボッコボコでした

かわいそうに…

これで

エジプトの遺跡は

個人的に

大満足でした

ちなみに

スフィンクスは

ピラミッドより歴史は

古いそうです

姉に教えてもらいました

そして

スフィンクスの

目の前にあるケンタッキーも

健在でした

9月28日 212日目 エジプト カイロ到着

昨日の晩

ルクソールを出て

12時間の移動の末

カイロに到着

しかし

ここで

自分の大きなミスに気づく

地図が無い…



自分にある手がかりは

サファリというナの

宿があるということ

俺は

とりあえず

あたりの人に

聞きまくった

誰も知らない…

しょうがない

タクシーの運転手なら知っているかも

と思い

タクシーを止めて

話しかけると

「知っているよ」

といわれ

ほっと胸を撫で下ろし

連れて行かれると

着いたのは

「ヴィクトリアホテル」

全く違う 笑

違うわ

というと

なぜか

地下鉄で降ろされた

これは

もうスーダンで経験したんで

いいです

とりあえず地下鉄に入り

そこの職員に聞きまくった

すると

「サダットっていう駅に行けばとりあえず大丈夫」

といわれ

とりあえずサダットに行きました

そこの駅をでて

人に聞いたら

サファリの場所がわかりました

なんとかなりました 笑

そして宿にいると

今から日本に帰る人がいて

その人は俺の小学校中学校の同級生の先輩でした

遠いね 笑

そして

アスワンであったりゅうたさんと再会して

そこで

二人でハトを食いました

相当なビジュアルショックでした

9月27日 211日目 エジプト 王家の谷

今日は

王家の谷に向けて

チャリンコで行きました

昨日は

ピンクのチャリンこだったので

注目をがっちり浴びていたので

今日は

シックな色にしてみました

そして

肝心の

王家の谷は

俺のルートから行くと

一番遠いところにありました

最初は

警戒に飛ばしていたチャリンこも

最後

若干の上り坂が永遠に続くという

難関が待ち受けており

そこで苦労して

更には

そこは

パッと見

上り坂に見えないので

まるで自分の感覚が

おかしくなったと思い

発狂しそうでした

そして

やっとの思い出

王家の谷

到着

感想は

普通でした 笑

でも

行ってそんはありません

昔から憧れていた場所です

帰り道

若干の下り坂は

爽快でした

9月26日 210日目 エジプト 頼んだ事はしかっりやる

ここルクソールで

国際学生証が

作れるということで

ホテルの

おっさんに頼んでみました

しかし

なぜかおっさんが作ってきたのは

「ユーストラベラーカード」

違うじゃん

おっさんを問い詰めると

同じ効力のあるカードだ

といってきたので

半信半疑ながら

一応受け取りました

今日は

観光スポットをチャリンコで周ってきました

ちゃりを乗っけたボートで


対岸まで行き

そこから

ちゃりで爆走

でっかい

二つの巨像や

何とか神殿に

行ってきました

今日は

ここで時間切れ

帰ることに

明日は

王家の谷へ

9月25日 209日目 エジプト ルクソールへ

昨日

ツアーで一緒だった

りゅうたさんと

エジプトの定番料理

コシャリを食って

ルクソールに向かうバスに乗ることに

りゅうたさんは

そのままカイロに向かうので

ここでお別れ

そして

俺が

3:30発の

バスのチケットを買おうと

オフィスに向かい

そう述べると

「3:30はフル」

といわれてしまった

しかし五時半はあるということだったので

とりあえず2時間ほど待つことに

そして目の前を

3:30のバスが通っていったが

中を見てみたら

6人ぐらいしか乗っていなかった…

なんでじゃ

5:30のバスには

無事に乗る事が出来て

ルクソールに向かった

そして

五時間後

ルクソール到着

その後

すげーしつこい客引きにまけて

その宿に泊った

9月24日 208日目 エジプト アブシンベル

今日ツアーに参加して

アブシンベルに行くツアーに参加した

ここのアブシンベルでは

エジプトでも有数の

でかい神殿があり

それを見に行ったわけですが

まじででかかったっです

でかすぎてびびりました

でも

多分

それは

久々の観光だったから

というのもあるでしょう

それにしても

古代遺跡ってすごいね

少し感動したよ

でも

熱くてちょっと

やばかった

その後は

ツアーに一緒に参加した

日本人のりゅうたさんから

エジプトの情報をたくさんもらった

全く情報が無かったから

すごく助かった

明日には

王家の谷で有名な


ルクソールに向かう

9月23日 207日目 エジプト 到着



おきてみたら

体の周りに

大量の羽ありがしんでて

ドン引きだった

そこから

そして

10時ごろ

アスワンに到着

とうとう

エジプトにやって参りました

だが

しかし

なぜか

着いたのに

おろしてくれない

結局着いてから

降りたのは

2時間後ぐらい

全く意味がわからなかった

そして

そこから

タクシーをシェアして

中心街へ

そして

宿を探して

なぜかあったユースホステルに

値段7ポンド

日本円で105円

ここにきて

このたび最安値が飛び出した

明日は


アブシンベルに行ってきます

9月22日 206日目 スーダン→エジプト どんぶらこ

昼に

エジプト行きのフェリーに乗り込んだ

その前の手続きが

何かとめんどくさかったけど

ちゃちゃっと済まし

そこから

乗船

なぜか中は

女性席と

男性席に分かれていた

イスラム教徒は

そこら辺は

厳格だそうである

俺は

最初から

知らずに女性席にいて

早めに行ったのにもかかわらず

移動させられ

狭い席に行くことに

そして

1時出発のところ

なぜかの

4時出発

そして

このフェリー

大きさは

沖縄の

座間味島に行く半分ぐらいしかない

そして

スピードも半分ぐらい

ゆっくり

ゆっくり

どんぶらこ

どんぶらこ

と進んでいきます

本当につくのかと思うほどです

そして

あっという間に

夜になり

よこに

アブシンベル神殿が現れました


いつの間にか

エジプトに入国してた

でも

着くのはアスワンという街なので

もう少しかかる

夜は明かさなきゃいけない

けども

ここは

寝床が無いので

甲板にでて

寝る羽目になった

夜は意外に涼しくて

ぴったり満月だったから

寝心地は

悪くない

9月21日 205日目 スーダン 国境へ

今日

早朝から

スーダンとエジプトの

国境へ向かうために

朝5時出発のバスに乗るために

お世話になっていた

NGOのスタッフの人に

送ってもらい

朝四時ぐらいに出発した

しかし

僕を含めて

三人で行ったのだが

道が誰もわからず

結構な時間迷った

そして

迷いに迷ったあげく

なんとか

到着

着いたのは5時ジャスト

急いで乗り込め!!

そう思い

焦って

駆け込むと

運転手が

「出発は6時です」

なんでじゃい…

5時って行ってたジャン…

取り敢えず

バスには

間に合って

ほっと胸を撫で下ろした

そして

ここで

NGOの方とは

お別れ

本当にありがとうございました

また

あえる日を楽しみにしています

そして

6時になると

出発

しばらくすると

街を出て

そこから

見渡す限り







たまに

休憩所みたいなのが

ポツン

そして

また







こいつは

すごかったです

気が狂いそうになりました 笑

でも

バスは快適で

ご飯と

コーラもでました

サービスいいね!

そして

10時間の末

国境の町に到着

これまた

何も無い街だった

そして

宿探すと

聞いた宿

全部が外にベッドだけ

これで

3ドルぐらいでした

すごいな

金取るなよ 笑

しかし

仕方ないので

お泊りしました

ちょっと昼寝すると

体中が砂だらけでした

明日の午後には

エジプトに向かうフェリーの中です