行った場所


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2010年6月25日金曜日

6月24日 116日目 ケニア 日本ばんざい!!


今日も

サッカーをしに行って

帰ってきて

楽しみにしていた

日本対デンマーク戦だ!!

なんて思っていたら

ここは

アフリカ

カメルーン対オランダ戦を放送しやがった

どうしても日本戦の結果を知りたい

俺たちは

インターネットの

テキスト実況で見ることに

それと

スワヒリ語のラジオ放送を聴いて

何とか把握することに

とりあえず

カメルーン対オランダ戦を見ることに











つまらん

まじでつまらん

テキストに出てくる

日本の動向のほうが

百倍興奮するわ!!

何じゃこの試合は!!

2チームとも

グループリーグ敗退だ!!

でも

オランダはもう突破を決めているので

なんとも言えん

日本は

前半で二点リード





見たいわ

でも

見るすべもなく

俺は

パソコン上の

文字を読むだけだった

しかも

パソコンも

止まったり動いたり



もう

勘弁して

そんなこんなで

試合終了

オランダ対カメルーンは

2-1

そうでもよかった

日本対デンマークは

3-1

ということは

日本は

グループリーグ突破!!

ばんざーい

明日

街中に自慢しよ!

6月23日 115日目 ケニア 生活スタイル



のんびりして

夕方からサッカー

というスタイルが

だんだん根付いてきました

今日は

今いる

街の

唯一の観光すぽっつ

滝を見に行きました

意外と絶景

恒常的に

虹がかかってました

一緒に言った

ケニア人も

はしゃいでました

滝つぼのところまでいけるけど

今は強盗が多いということで

やめました

忘れちゃいけない

ここはケニア

しかし

筋肉痛が

なかなか取れない

6月22日 114日目 ケニア 赤白黄色黒異人さんの街 きれいに育て混血の子

どこの国に行っても

子どもはめんこいです

ケニアの子どもたちは

俺を見ると

すごい興味を持ってくれて

ニコニコ近づいてきます

写真を撮ってあげて

見せると

食い入るように見ます

それがまためんこいです

何かしゃべりかけられて

分かんないから

日本語で話しかけると

きゃっきゃっ喜ぶ(バカにされているのかも 笑)

僕がお世話になっている家族にも

赤ちゃんがいます

日本人とケニア人のダブルです

これがまた

なまらめんこいです

今はこの子に

好かれようと

必死です

子どもはあっという間におおきくなるね

日本であったのは四ヶ月前で

生まれたばっかりだったのに

今はもうこんなに大きくなって…

同級生の子どもはどうなってるんだろう?

会う頃にはびっくりするぐらい

成長してるんだろうなー

日本で

最後に見送ってくれた

いとこのこどもも

また大きくなってるんだろうなー

日本に帰ったときの

楽しみの一つ

今日もサッカー

行こっと

6月21日 113日目 ケニア 準備万端で



この街には

中古ショップみたいなものがたくさんあります

まぁショップといっても

屋台みたいなものに

誰かが使ったものを

引き取ってそれを

売っているという所です

そこで僕はシューズを買いました

意外に

いい素材のがありました

1500円ぐらい

それと

ナイロビで買った

ケニアと

コートジボワールのユニフォームがあれば

もう完璧です

昨日言ったグランドに行くと

子どもたちが

大勢いました

お世話になっている人は

子どもたちに

シューズを貸してあげて

一緒にプレーしました

下は小学生

上は高校生まで

まだ負けません

しかし

昨日のサッカーの筋肉痛が

残っており

思うように動けません

(情けない…)

すぐに取り戻そう

6月20日 112日目 ケニア 田舎町へ

ナイロビは大都会です

生活するのに困ることは

一切ありません

おいしい

チップスという名の

フライドポテトも食べれます

ナイロビは標高1100mぐらいらしいです

だいたいカトマンズぐらいです

とても涼しいです

ナイロビには何でもあります

アフリカのナショナルチームのユニフォームが

1500円ぐらいで買えます

多分偽者です

でも

ほぼ本物です

唯一の欠点は

治安が悪いことぐらいです

今日はサッカーをしました

日本人もケニア人も混ざってです

とっても楽しかったです

でも10kgやせて

ずっと動いてなかった俺は

自分の動けなさに

愕然としました

それが終わったあと

お世話になる街に行きました

ナイロビから三時間

標高2300mです

少し寒いけど田舎町でとてもいいところです

ここで新婚で引っ越してきたばかりのところにお世話になります

だいぶ迷惑です

家には暖炉があります

近くにぼこぼこのグランドがあります

お世話になっている人は

そこで

NGOの活動をしながら

サッカーの指導もしています

子どもたちが

その人を見たとたん

笑顔で近づいてきます

そして

硬い握手

みんなにすごく尊敬されていました

僕もここで

サッカーの指導をすることになりました

もうすこし後でだけど

田舎町はいいです

俺が生まれ育った

街みたいです

6月19日 111日目 ケニア リトルジャパン




今日は

ナイロビにある

日本人学校の運動会に

参加しました

日本人学校だけあって

日本の運動会と

ほぼ一緒

ここはアフリカだけど

ここだけ日本でした

ほんわか

日本の子どもたちと

近くのケニアの子どもたちとの

合同運動会

懐かしさに襲われ

ぼけーっと

にやにやしながら

眺めていました

すると

俺も競技に参加することに

俺が参加した競技は二つ

一つは玉いれ

逃げる人のかごに

入れるという形式でした

そしてもう一つは

「ナイロビ音頭」

プログラムを見たときから気になっていたんですが

これは

ケニアのあるあるねたを

歌詞にしながら

盆踊りを踊るということでした

いまだに

歌詞の「ぽーれぽれ」

が耳から離れません

漫画の

魔方陣グルグルのギャグは

これが元ねただったのですね

最後のほうに

組み体操をしていた

俺も昔やったなー

小学生のとき

「緑新名物、緑新タワー」

なつかしー

終わったあとは

みんなで

日本対オランダの試合を

体育館で観戦しました

運動会が押して

5分ぐらいだったけど 笑

惜しかったなー

がんばれ日本

6月18日 110日目 インド→ケニア 新世界

思えば



顔が黒すぎて

ケニアなんて

あだ名をつけられてたり

マサイ族のジャンプを真似したり

何かとケニアという

ワードを

たくさん聴いていた気がする

そんなケニアに

着いた

飛行機がナイロビに到着

降りると

全身に身震いが

「俺アフリカに来たんだ…」

感無量です

片道航空券が無いと

ビザがもらえない

なんてことが書いてありましたが

難なくもらえました

ていうかむしろ

「Mr.森!?ふぉー」

っといった感じでした

ケニアは

町がダイタイ高地にあって

とても涼しいです

灼熱のインドから来たので

すごしやすい

ここで

NGOとして活動している

日本の方に

一、二ヶ月お世話になることになりました

アフリカは

夢が近くにありそうです

ジャンボ!!!!

2010年6月17日木曜日

6月17日 109日目 インド ワンダーランド

昨日

夕方

雨がやんだので

夕日でも見に行こうと

西海岸に

あいにくの空模様で

夕焼けしか見れず

目の前には発展した

ムンバイの町

そして

その向こうには

アフリカ

思えば

二ヶ月近くもいて

いきたいところの

半分も行けなかった

それでも

そのことよりも

大事なことがたくさん得れた気がする

不思議な国だ

いやな目にあって

くそっ

って思っても

また来たいと思ってる

来たら

また

面倒なことになるのは

目に見えてるのに

それ以上に

何かが待っている気がして




たくさんの

日本人にあった

たくさんの

外国の人にあった

そして

インド人

ほんとにうそつきが多かった

でも

ほんとにやさしい人が多かった

Aliulさんと出会えたことは

多分俺の人生でも

でかかった気がする

彼がいる限り

インドは嫌いになれない

自分にどんな利益があるか

わからないけど

みんなのために

変えていこう

そんな

考えに

俺は

マキシマムリスペクトを

送りたい

インドの若い人たちと

話をすると

ひょんと

そんな話が出てくると

インドはこれから

変わっていくのかな

そんな気がしてならない

イヤー

たくさん

のことを経験した

楽しかった

インド

次は

想像もつかない

新世界へ

びゅーん

2010年6月16日水曜日

6月16日 108日目 インド スラムドッグ$森オネア

ここ

ムンバイは

 スラムドッグ$ミリオネアの

ロケ地として

知られています

しかし



見たことがありませんので

全然

わかりません

見てれば

「わーここあのしーんで~~~」

とか

「ここはもしやあのしーんで~~~~」

ということができるはずだが

できないので

僕自身

少しのミリオネア感を出すために

飯を食うとき

メニューを復唱されたとき

「ファイナルアンサー」

と答えるようにしています

それだけです

ムンバイは

今日も雨

6月15日 107日目 インド 最後の街

23時間の移動の末

ムンバイに到着

初めて

インドの街

というものを

みたきがした

明らかに

今まで

見てきたインドとはまた違う

インド

みんな

どこかおしゃれで

サリーを着ている人は

少ない

若者は

ほとんど着ていない

こうやって

時代は変わっていくのかな

なんて思ったりもした

 今

ムンバイは

モンスーンの影響で

雨季真っ最中

雨を見てると

もう

インドも終わりか…

なんて

感傷的にもなったりして

2010年6月15日火曜日

6月14日 106日目 インド 退院

今日

退院した

症状は

のどが痛くて

食べることも

飲むこともできず

病院にいったら

食べ物から

発生した

バクテリアが繁殖して

それが

体中に回って

高熱が出た

ということでした

意外に症状は

重く

毎日

点滴をうち

一日三回注射を打ち

薬も服用していました

おかげで

今は元気です

入院している

間は

 病院に連れて行ってくれた

リキシャードライバーが

毎日お見舞いに来てくれました

フルーツを買ってきてくれて

電車も予約してくれました

いろいろ医者にも掛け合ってくれて

今日の退院にも

来てくれた

そして

今日

アーグラーを絶つので

駅まで連れて行ってくれた

その最中

金がほしいと言ってきた

また金か

いつもなら

そう思うけど

なぜか

そのときは

そう思わなかった

多分

彼からもらった

優しさが

それに値すると

感じたからかもしれない

彼は付け足した

今はローシーズンで

稼ぎがない

子どもに教科書や制服を買ってあげたいんだ

そうも言っていた

それは胡散臭いし

そうかもしれない

僕はお金をあげた

このお金は何に使うんだろう

家族で豪華な料理を食べに行くかもしれない

連れと飲みに行くかもしれない

少しいい服を買うかもしれない

本当に子どものために使われるかもしれない

いずれにしても

彼にはプラスに働くんだ

たまにはいい

だまされる事も

その人のために

たまにはいい

騙すのもいい

大切な人のために

たまにはね

過ぎちゃだめ

そんなことを

考えながら

電車に乗り込んだ

座席の下に荷物を入れている

おっさんの脳天に

膝を叩き込み

Sorryと小粋にあやまりながら

夜にはベッドに変化する

座席に腰を下ろし

バッグに

盗難防止のチェーンを巻きつけ

雅也からもらった

鉄道員を取り出し

インド最後の町となる

ムンバイー(ボンベイ)へと

向かうのでした

6月13日 105日目 インド ポッドキャスト

暇すぎる

ポッドキャストをダウンロードしておいてよかった

小林大吾の
新しいアルバむききたい

そんなおれは

注射中

6月12日 104日目 インド スーパー

今日

アルゼンチン戦がやっていた

マラドーナが

ひげを生やして

スーパーマリオみたいになっていた

「スーパーディエゴマラドーナ」

語呂がいい

そんな

俺は

点滴

逆流中

6月11日 103日目 インド ワールドカップ

ワールドカップが始まった

行きたい

そんな

俺は

病院の

ベッドの上

6月10日 102日目 インド アーグラーに着いた

アーグラーに着いた

タージマハルを見た

入院した

6月9日 101日目 インド いざアーグラーヘ

ガンジス川に沐浴をしたので

バラナシに

悔い無し

思ってたけども

ひとつだけ

遣り残したことが

ボートの乗ってないや

黒澤さんの誘いで

ボートに乗ることに

そういって

宿に泊まっている

人たちと

ボートに乗ることに

まずは

ボートに乗って

火葬場に向かうことに

ちょっと漕がしてもらった

難しかった

この船には

おっさんと

ちっちゃい子どもの二人で

漕いでいたが

子どもが

漕いでいるときに

オールを流してしまった

おっさんが激怒し

子どもを海に突き飛ばした

子どもはあせって

ボートに戻ってきた

おっさんは

仕方無しに

自分で取りに行った

最初からそうすればよかったのに

今日の火葬場は

死体の数が多かった

それから

対岸に向かった

バラナシのガートと呼ばれる場所から

ガンジス川をはさんで対岸は

不浄の地と呼ばれており

行く人はほとんどいないときいていた

そして

対岸に着いたとき

俺らは

驚きのものを見た

それは

おびただしい量の

ごみと

死体

ガンジス川には

巡礼者や子ども

障害者は焼かれず

そのまま

川に流すと聞いていたが

対岸にめちゃくちゃあるじゃん

 白骨化したものから

なまなましいもの

更には

犬に現在進行形でくわれているものもあった

うしのしたいもあった

(俺こんな川に入っていたのか…)

後悔しても

もう遅い

それでも

なにもない砂漠に

朽ちる

死体も

絵になってしまうのも事実であった

意外に楽しかった

ボートを降り

チェックアウトを済ませ

みんなに別れを告げ

俺とシブさんは

アーグラーヘと

向かうのでした

6月8日 100日目 インド ガンジス川で沐浴を

今日の昼

タージマハルを見るために

アーグラーに向かおうとしていた矢先

その便がキャンセルになった


仕方なし

バラナシに

もう一泊することに

もう約一週間も

バラナシにいるため

俺に残されている

ミッションは

たった一つだけ

「ガンジス川で沐浴」

これだ

このまま

二の足を踏み続け

「入る暇なかたー」

といって

アーグラーに逃げようと思っていた

しかし

汽車がキャンセルになった

ってことは

ヒンドゥーの神

シヴァも入って行けといいているということなのだろう(バラナシはシヴァの聖地)

しかし

こんなに

躊躇するのにもわけがある

一番の理由は

 某有名ガイドブック

ロ○リープ○ネットには

「人が沐浴可能な大腸菌の量の300倍」

と記載されており

けつの穴ですらアウト

傷口があるとやばい

という話や

バラナシに住んでいる人の

入浴

生活排水垂れ流し

便もここで用をたし

さらには

死体もながれているという

そんな川に

誰が入りたいと思いますか?笑

しかし

インド人は

毎日

楽しそうに

ちゃぷちゃぷを通り越して

ザップーーーんと遊んでいるわけです

ここまで来たら

沐浴するしかない

と覚悟をきめ

けつの穴をしめ

宿でであった

まささんとシブさんと三人で

沐浴することに

黒澤さんはかたくなに断った 笑

四人でガンジス川に向かう

いつもどおり遊んでいるインド人がいる

まささんが間髪いれずに向かった!!

「なんだこれぬるぬるする!!」

次に行くには相当いやなリアクションだ

俺は腹をくくり

けつの穴を締め

いざ

ガンジス川へ!!

ちゃぷん

ヌル

ヌル

ヌル

ぬるぬるぬるぬるぬるぬるぬるぬるぬろっろろろろ

何じゃこりゃ!!

ぬるぬるしすぎだわ!!

さながらローションプレイのような(筆者未経験)


ぬるぬる間が

俺の足裏に襲ってきた

そして次の瞬間

つるっ

ざっぱーー=--ん

ちゃぽん

見事なこけっぷりを魅せてしまいました

しかし

これで俺は

全身沐浴が完了

続いてシブさんが入り

三人で

悲鳴をあげながら

五分ほどつかりました

隣で騒ぐインド人に

ちゃぷちゃぷすんな!

と三人で怒声を浴びせながら

ゆっくりと上がり

そこでシャワーを浴びました

これにて

すべての工程が完了

インド人は

ガンジス川に入ると

今まで行ってきた悪いことを

すべてあらに流してくれると思っているので

俺もきれいな

森亮介となったはずです

まぁそれは今後の俺の人生が決めることですが

俺の予想は

変わらないだろと思います 笑

人生そんなに甘くありません 笑

6月7日 99日目 インド 捨てる神あれば拾う神あり

先日

述べたように

俺のIpodは盗まれました

まぁ

耳をすませば

いろんな音が聞こえてくるのですが

やはり

音がほしい

そんな時に

近くのネットやで

ネットを

さっ

と終わらせ

さっ

と帰るとすると

「君日本人?」

とネット屋の兄ちゃん(同い年)

に話しかけられた

「そうだよ」

と答えると

「俺、日本人の友達がいて、日本の音楽いっぱい持ってるんだ」

と言ってきた

なに?

マジか?

盗まれた俺にとっては

これ以上ない好都合

「みして!!みして!!」

持ってる音楽を見てみると

びっくりするぐらい

ごちゃごちゃだった

Yukiがあると思えば

韻踏合組合があり

Blue Harbがあり

くるりがあった

とりあえず

目に付いた

気に入ったものを

全部もらった

音楽はやっぱりいいですわ

今は

Coccoを聞いています

歌詞をしっかり聴いていると

心が病んでいきそうです 笑

そろそろ

Yukiにチェンジしなければ

6月6日 98日目 インド 路地裏天国


昨日

火葬場に行ってから

宿で休んでいると

「エクスキューズミー」

後ろを振り向くと

「何だ森君ジャン!」



そこには

マレーシアで出会った

黒澤さんと奇跡の再会をした

恥ずかしながら

すごく

うれしかったです

今日は

黒澤さんは

体調を

崩していたので

ずっと寝ていました

黒澤さんと一緒に来た

シブさんと

町をうろうろしたり

マンゴージュースを飲んだりと

楽しんでいました

今いる

バラナシでは

ヒンドゥー教徒の聖地であり

みんな

ガンジス川に

沐浴をする

というのが

この町の名物ではありますが

俺には

この町の

ほかの見所として

路地がすばらしい

バラナシのメインロードを除けば

ガンジス川の近くや

宿がたくさんある地域は

とても細い路地で

町が形成されているわけで

どこを見ても

路地になっているので

とても

町並みが

きれいなわけで

そんな

俺は

路地が好きなわけで

何ででしょうね

俺の育った

旭川の町は

北海道という

広大な土地のおかげで

路地というものは

あまりなかった気がする

小樽は少しあったかな?

でも

なんか路地を見ていると

どこか

懐かしくて

寂しくて

ほっとして

猫なんか出てくると

最高なんですね

まぁ

インドの場合は

猫ではなく

路地に

牛なのですが 笑

日本で路地が多いのは

どこかな?

実は

沖縄にたくさんありそうだけど

帰ったら

探してみよう

2010年6月7日月曜日

6月5日 97日目 インド 生と死を見つめて



今日行った




警察所は



あさっり盗難証明書をくれた



チャイもくれた



警察さん



昨日は



ののしって



ごめんなさい



今いるバラナシには



たくさんのヒンドゥー教徒が訪れ



祈りをささげる



そして



ここに来る人の大半の目的は



葬送



死者を送るということ



ガンジス川の流域に



ある



火葬場



そこに



今日



見に行った



各箇所に積み上げられている







その中に燃えている人



このまま



灰になっていく



人が燃やされることを



こんなに見たことはない



そこから帰るとき



同じ川で



元気に遊んでいる子どもを見た



生と死が混在する



不思議な空間



俺は



死ぬことが一番怖い



だから



死ぬことに関係することも必然と怖い



事故



殺人



ドラッグ



死ぬことは



一番勇気が必要だと思う



生の向こうには



死がある



じゃあ



死の向こうには?



死のうと思ったなら



その気持ちで



イラクに行ったほうが



何かを得れるはず



たくさんの死をみてきた



幼稚園の頃から



同級生



先輩



親族



大切な親友が



死にかけたのを



目の当たりにしたことがある



死ぬってどういうこと?



何で死ななくてはいけないの?



ずっと生きてちゃいけないの?



考えたって答えなんてあるわけない



いつともわからないけど



いつかは



人間に平等にやってくる



避けることは出来ない



人間の義務を全うするため



その中身を充実させたい



出会った人たちと素敵な思い出を



出会った人たちに心地よい幸せを

6月4日 96日目 インド たらいまわし

バラナシに着いて




ゆっくりしたあと



まずは



警察で



盗難証明書をもらうことに



まず最初にいった



警察署



「ここではつくられない」



ちっ



次の警察署



「ここでも作られない」



ちっ



ちっ



次の警察署



「ここもだめ」



ちっ



ちっ



ちっ



どこも



かしこも



だめじゃねーか



最後の警察署で



「ここに行けば作れる」



と言われ



行った所は



最初に行った



警察署だった



(作れるわけねージャン)



もう



いろいろ疲れたので



もういいや



明日にしよう



と思い



諦めた



後は



ガンジス川を眺めながら



ゆっくり



長距離移動の疲れを



癒すべく



ゆっくり休んだ

6月3日 95日 インド 耳に響くのは…

バスステーションに着いた




時間では



深夜1時ほど



バスは



大体



朝6:00位



出発



少し休めるな



しかし



あんまり



ぐっすり眠ると危ないので



眠るのを我慢していた



目覚ましに音楽でも聴くか



そう思い



旅のお供の



Ipodを



お気に入りの曲(なぜかSnail Ramp)



を流しながら



聞いていた



そこで



ふっ



あれ



眠っていたのか



いかん



いかん



気を引き締めないと



曲も終わってるではないか



曲を変えよう



そう思い



Ipodの方をみると



そこにあったのは



ヘッドホンのジャック















ん?



あれ?



本体は?



あれ?



あれれれれれ?



あれれれれれれれれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?



glんbjんgぼえんrgんblのえrんbldfbんlんbs?



Ipodがない!!



俺の眠り落ちた間に



盗られた!



その間10分



少々混乱の後



落ち着いて



周りを探した



無い



無い



無い



あちゃー



やっちまった



すると



近くのやつが



お前のIpod誰か盗んで自転車で逃げたよ



何じゃその事後報告



余計寂しくなるわ



近くに警察が来たので



ものを盗まれたとうったえると



あっちで話をしようと言われ



行くことに



まず飲み物でも飲もう



と言われ



俺は



精一杯訴えた



すると警察は



とりあえず



飲み物を買ってくれ



それを飲みながら話そう



そういわれ



なぜか



ジュースをおごらされた



そして



また



精一杯訴えた



すると



もう一杯ほしいな 



とかほざいてきやがった



この



国家の犬が!!



そういってやりたがったが



無言でその場を立ち去った



あー



なんてこった



警察すらあてにならない



そして



バスに乗る時間がやってきた



ここで



けんさんとはお別れ



ありがとうございました



俺は



一路



バラナシに向かうことに



いつも移動中は



音楽を聴いていた



今日の耳に響くのは



エンジン音



インドの言葉



揺れるバスの



きしむ座席



がたがたの窓



全然違う



気持ちを切り替えて



こういうものに耳を傾けていこう



ダンサー イン ザ ダークの主人公みたいに



雑音でミュージカルが出来るぐらいに



でも



フィナーレは



ハッピーエンドがいいな

6月2日 94日目 ネパール→インド ただいまインド






ゆっくりと起き



二週間すごした



ネパールともおさらば



山に囲まれていた



この国は



今後どうなっていくんだろう?



世界一の



大自然



無くさないように



がんばってね



ネパールから



インドの国境を越えるとき



びっくりするぐらい



ぼろぼろだった



ダージリンから



国境を越えるときの



雰囲気に似ていた



実は



一日



オーバーステイを



していたので



少々高い



罰金を



とられた…



仕方ない



自分の責任だ



ここで



俺たちは



移動



一回中継地点の



ラクナウまで



行かなくてはいけなかったので



すぐに



バスを探し



飛び乗る



オンボロバスの



また



また



七時間揺られ



ラクナウに到着



ここから



バナラシに向かうために



また



バスを探すが



どうも



バスは



明日の朝にしか出ないらしい



仕方ない



ここで一泊してやろう



リキシャーに乗って



宿探す



しかし



外国人はお断りと言われ



泊れず



やっと見つけたところも



外国人専用の本を無くした



とか訳のわからない理由で



泊めてくれなかった



そうかい



そうかい



いいよ



もう



お前らは



野宿じゃ



野宿!!



俺らは



バスターミナルに行き



ここで朝を迎えることにした



しかし



ここで



ある悲劇が



俺を襲うことに…