今日は
校長先生と話をさせてもらった
校長先生は
社会の先生で
今も
授業で
社会を教えてる
今まで学校を見てきた中で
疑問を持ったことを
ぶつけてみた
もっと
「ほかの世界を知ることがひつようだとおもいませんか?」
校長先生は大いに賛同してくれた
ほかの国が
今どうなっていて
どのように発展して
どのような問題点があるのか
今の世の中が
どうなっているのか
自分たちの周りのことを
知っているだけでいいのだろうか
ケニアの子ども達に
将来の夢を聞くと
医者や
弁護士になってしまう
お金をたくさん稼ぐ=成功
確かにそうだと思う
けど
それしか
なりたいものがないのは
悲しすぎると思った
もっとたくさん夢見てもいいんじゃないかと思った
ライト兄弟が
空を飛ぼうとして
飛行機を作ったように
色々な可能性が消されていく
国と
教育
もっと視野を広げて
可能性を広げて
2010年7月21日水曜日
7月19日 141日目 ケニア 疲れを引きづりながら
ケニア山
帰ってきたら
顔が
日焼けして
足が痛くて
疲れが残っていた
けど
今日
私立の学校の見学に行ってきた
やはり
私立だけあって
賢そうな子だらけだった
ここの子達は
寮に住んでいる子どもが多いので
夜の十時ぐらいまで
勉強していた
前訪れたとき
自習してた子ども達に
算数を教えてあげた
それをまだ覚えてくれたみたいで
「亮介!マスマテックス!」
と呼んでくれたけど
時間が無くて
教えることが出来なかった
ちょっとしたことだったけど
喜んでくれたみたいだし
俺も喜んだ
帰ってきたら
顔が
日焼けして
足が痛くて
疲れが残っていた
けど
今日
私立の学校の見学に行ってきた
やはり
私立だけあって
賢そうな子だらけだった
ここの子達は
寮に住んでいる子どもが多いので
夜の十時ぐらいまで
勉強していた
前訪れたとき
自習してた子ども達に
算数を教えてあげた
それをまだ覚えてくれたみたいで
「亮介!マスマテックス!」
と呼んでくれたけど
時間が無くて
教えることが出来なかった
ちょっとしたことだったけど
喜んでくれたみたいだし
俺も喜んだ
7月18日 140日目 ケニア ケニア山3日目
深夜1時
起床
なぜこんな時間に起きるかというと
俺らのスケジュールは
今日中に
頂上に上り
そして
ロッジにかえらないといけない
弾丸のスケジュールだからです
そして
チャイを少しのみ
ビスケットを食べて
出発
昨日まで少しあった
高山病の症状は
出ていなく
意外に
すっきりしていた
ほかの人たちも
何とか
体調を保ち出発
懐中電灯の明かりだけを頼りに
ガイドさんの後ろ着いていく
ふと見上げると
満点の星空!!
こんなに
きれいな星空見たこと無い!!
というか
星が近い!!
そんな状況で
足元をきにしつつ
上を見上げながら
頂上を目指す
しかし
やはり
一筋縄ではいかず
山を登るにつれて
だんだん急になっていく
そして
這い蹲るように
石をつかみながら
登っていく
そして
上り続けていき
ふと
東の空を見上げると
明るくなってきている!!
すごい!!
雲の海だ!!
早く
サンライズまでに
間に合わせようと
みんなでかんばって登る
文字通り
這いつくばって
食らいついて
本当に
しんどい道を登っていた
そして
ついに
頂上到達!!
サンライズに間に合った!!
お
おお
おおおお!!
雲の中から
太陽が出てきた!
!
なんて
きれいなんだ!!
きつい思いをした分
本当にすごいものが見れた!!
大満足
帰り道
明るくなってきた道をみて
登ったみんなが言った言葉が
「良くこんなところ登ったな…」
暗くてよかった 笑
明るかったら
諦めていたかもね 笑
そんなこんなで
帰り道も
つらい道で
口数少なく
でも何とか
ロッジまで
帰ってくることが出来た
1時半から歩き始めて
朝食時間を抜いても
合計で
15時間は歩いた
もらったものは
本当にきれいな景色と
足の裏の水ぶくれ
一生忘れない
きれいなふうけい
はぁー
ため息が出る
でも
もう登らない!
きつ過ぎるわ!!笑
おまけ
○この中に間違いがひとつあります
起床
なぜこんな時間に起きるかというと
俺らのスケジュールは
今日中に
頂上に上り
そして
ロッジにかえらないといけない
弾丸のスケジュールだからです
そして
チャイを少しのみ
ビスケットを食べて
出発
昨日まで少しあった
高山病の症状は
出ていなく
意外に
すっきりしていた
ほかの人たちも
何とか
体調を保ち出発
懐中電灯の明かりだけを頼りに
ガイドさんの後ろ着いていく
ふと見上げると
満点の星空!!
こんなに
きれいな星空見たこと無い!!
というか
星が近い!!
そんな状況で
足元をきにしつつ
上を見上げながら
頂上を目指す
しかし
やはり
一筋縄ではいかず
山を登るにつれて
だんだん急になっていく
そして
這い蹲るように
石をつかみながら
登っていく
そして
上り続けていき
ふと
東の空を見上げると
明るくなってきている!!
すごい!!
雲の海だ!!
早く
サンライズまでに
間に合わせようと
みんなでかんばって登る
文字通り
這いつくばって
食らいついて
本当に
しんどい道を登っていた
そして
ついに
頂上到達!!
サンライズに間に合った!!
お
おお
おおおお!!
雲の中から
太陽が出てきた!
!
なんて
きれいなんだ!!
きつい思いをした分
本当にすごいものが見れた!!
大満足
帰り道
明るくなってきた道をみて
登ったみんなが言った言葉が
「良くこんなところ登ったな…」
暗くてよかった 笑
明るかったら
諦めていたかもね 笑
そんなこんなで
帰り道も
つらい道で
口数少なく
でも何とか
ロッジまで
帰ってくることが出来た
1時半から歩き始めて
朝食時間を抜いても
合計で
15時間は歩いた
もらったものは
本当にきれいな景色と
足の裏の水ぶくれ
一生忘れない
きれいなふうけい
はぁー
ため息が出る
でも
もう登らない!
きつ過ぎるわ!!笑
おまけ
○この中に間違いがひとつあります
7月17日 139日目 ケニア ケニア山二日目
とうとう
今日は
自分の足で歩くことに
朝
軽い朝食をとって
出発!!
ポーターを雇わず
ガイドと
調理人だけなので
荷物は自分で持つことに
歩き始めると
すぐに
広い大地と
高い山が聳え立つ
「今からあれをのぼるのか…」
とても不思議な感覚だった
もう3000mのところにいるので
すでに
息切れが始まる
歩き始めて2時間ほどで
川に着いた
本当は
ここまで
車で送ってくれるらしい
うらやましい
…
そこから
まだあがっていくと
だんだん
周りの風景が変わっていき
石が大きくなってきた
そして
高山植物が見えてきた
対岸をみると
ものすごい断崖絶壁が
地上じゃ見られない
光景に
とっても
興奮してきた
更にしばらく歩いていると
だんだん頭に違和感が出てきた
(まさかこれは…)
高山病の症状かと思ったが
まだ
少し痛いだけなので
大丈夫だった
そこから登っていく
だんだん
疲労が蓄積していって
休む時間が多くなって
なかなか
前に
進まなくなってきた
しかし
それでも着実に
前に進むと
一泊するための
ハットが見えた!!
ここで
晩御飯に
クリームパスタを食べ
気温0度の中
寝袋ひとつで寝た
みんなは寒くてねれなかったらしいが
俺は
ケニア人に
押し競饅頭みたいにされていたので
あったかく
ぐっすり眠れました
高山病の症状も
まだ軽くしか出ていないので
大丈夫です
とうとう
明日は
頂上へ
アタック!!!!
7月16日 138日目 ケニア ケニア山一日目
今日は
とうとう
ケニア山出発
といっても
最初はロッジに一泊するので
そこまでは
車で
その途中の道で
野生の象をみた
幸先いいね!!
そして
ロッジに到着
まずは
体を慣らすために
少しランニング
このロッジで
すでに
3000m
俺がネパールで
登った山ぐらいある 笑
そこで走ると
なまらきつい!!
そしてやっぱり
夜は
カレー!!
うまかった
明日は
とうとう自分の足で
登山開始!!
とうとう
ケニア山出発
といっても
最初はロッジに一泊するので
そこまでは
車で
その途中の道で
野生の象をみた
幸先いいね!!
そして
ロッジに到着
まずは
体を慣らすために
少しランニング
このロッジで
すでに
3000m
俺がネパールで
登った山ぐらいある 笑
そこで走ると
なまらきつい!!
そしてやっぱり
夜は
カレー!!
うまかった
明日は
とうとう自分の足で
登山開始!!
7月15日 137日目 ケニア 出発前夜
今日は
出発前夜で
みんなで
食料の買出しや
重要な
ものを
そろえた
その中で
一番必要といわれたのは
頭痛薬
マジで
高山病で
頭が痛くなるらしい
不安はいっぱいある
けど
絶対
行きたい!!!
出発前夜で
みんなで
食料の買出しや
重要な
ものを
そろえた
その中で
一番必要といわれたのは
頭痛薬
マジで
高山病で
頭が痛くなるらしい
不安はいっぱいある
けど
絶対
行きたい!!!
7月14日 136日目 ケニア 気をつけることは
今日は
エンブで移動
ケニアに来て
もう少しで一ヶ月経つが
マタツというものに乗ったことが無かった
マタツと言うものは
ケニアで
市民の足になっている
車で
それはトヨタのハイエースで
旅人はみんな使うようですが
俺は今まで使ったことがありませんでした
今日はそれに乗り
エンブへ
途中で
ニエリという街で
乗換えをした
その時にみた
マタツの会社の名前
「ナイロビ ニッサンズ」
語呂のよさと
トヨタなのにという
矛盾で
とても気に入りました
もしサッカーチームを作ったら
この名前にしようと思います
そんなこんなで
エンブに到着
そこで
明後日のケニア山に向けて
ミーティング
経験者によると
寒さ
高山病
それと
急勾配で
本当に辛いらしい…
それでも約5000mの山からの
朝焼け…
朝日
雲海
是非みたい!!
エンブで移動
ケニアに来て
もう少しで一ヶ月経つが
マタツというものに乗ったことが無かった
マタツと言うものは
ケニアで
市民の足になっている
車で
それはトヨタのハイエースで
旅人はみんな使うようですが
俺は今まで使ったことがありませんでした
今日はそれに乗り
エンブへ
途中で
ニエリという街で
乗換えをした
その時にみた
マタツの会社の名前
「ナイロビ ニッサンズ」
語呂のよさと
トヨタなのにという
矛盾で
とても気に入りました
もしサッカーチームを作ったら
この名前にしようと思います
そんなこんなで
エンブに到着
そこで
明後日のケニア山に向けて
ミーティング
経験者によると
寒さ
高山病
それと
急勾配で
本当に辛いらしい…
それでも約5000mの山からの
朝焼け…
朝日
雲海
是非みたい!!
7月13日 135日目 ケニア 決定!!
明日
ケニア山に登ることに
決定!!
ケニア山は
アフリカで二番目に大きい山で
標高が
約5000m
ネパールでの標高は
更新しそうです!
ケニア山の準備をするために
今から
また
エンブに行ってきます
そこで活動している
NGOの人と一緒に
ケニア山に登ることになりました
日本では味わえない
世界
楽しみだ
ケニア山に登ることに
決定!!
ケニア山は
アフリカで二番目に大きい山で
標高が
約5000m
ネパールでの標高は
更新しそうです!
ケニア山の準備をするために
今から
また
エンブに行ってきます
そこで活動している
NGOの人と一緒に
ケニア山に登ることになりました
日本では味わえない
世界
楽しみだ
9月11日 133日目 ケニア 決勝戦
とうとうワールドカップが終わった
優勝は下馬評の高かった
スペイン
決勝は応援していたけど
何か
みんなの予想通りで
面白くない
てかオランダが可愛そうだった
二位のチームが
何で
一位のチームに花道を
作ってやらないと
いけないんだ
最大の屈辱ジャン
敗者には
この権利はなし
そんな見せつけ
オランダもがんばった
スポーツの世界は
非情
いままでどんな
過程があろうとも
結果がすべて
勝たなくちゃ
優勝は下馬評の高かった
スペイン
決勝は応援していたけど
何か
みんなの予想通りで
面白くない
てかオランダが可愛そうだった
二位のチームが
何で
一位のチームに花道を
作ってやらないと
いけないんだ
最大の屈辱ジャン
敗者には
この権利はなし
そんな見せつけ
オランダもがんばった
スポーツの世界は
非情
いままでどんな
過程があろうとも
結果がすべて
勝たなくちゃ
7月9日 131日目 ケニア 実は…
実は
ケニアに来てから
悩ませていることがある
それは
「切れ痔」
便を排出するときに
半端じゃない
痛みと
出血
これが痛くて
クリームを塗っていたんですが
まだ
治らず
昨日
飲み薬を飲んでみることにしました
薬の作用は
「便を柔らかくする」
飲んだ
夜
おなかに激痛
トイレに駆け込む
三回繰り返す
朝起きる
まだ痛い
結局
薬は様子見に
また
肛門に
クリームを
塗ることに
自分のけつの穴に
クリームを塗る
その時
姿といったら
情けないこと
この上ないです
森亮介は
全世界の
痔の方を
応援しています
ケニアに来てから
悩ませていることがある
それは
「切れ痔」
便を排出するときに
半端じゃない
痛みと
出血
これが痛くて
クリームを塗っていたんですが
まだ
治らず
昨日
飲み薬を飲んでみることにしました
薬の作用は
「便を柔らかくする」
飲んだ
夜
おなかに激痛
トイレに駆け込む
三回繰り返す
朝起きる
まだ痛い
結局
薬は様子見に
また
肛門に
クリームを
塗ることに
自分のけつの穴に
クリームを塗る
その時
姿といったら
情けないこと
この上ないです
森亮介は
全世界の
痔の方を
応援しています
7月7日 129日目 ケニア 動物王国
今日は
ナクル国立公園に
本当はここは
一人
60ドルはらわなくてはいけないのですが
僕は
裏技を使って
安く入れました
コネバンザーイ!!
いままで
ほとんどサッカーしかしていなかった
俺には
どことっても
目に飛び込んでくるのは
ザ・アフリカ!!
な光景ばっかりです
シマウマ
インパラ
サイ
バッファロー
きりん
そして
ナクル名物
フラミンゴ
沖縄のネオパーク並の素晴らしいところでした
ここでも
サイモンさんは
ブラジルの
おばちゃんの達に振り回されていました 笑
でも
そのおかげで
おばちゃんたちも
大満足だったようです
サイモンさん
よく頑張った!!笑
俺自身も大満足で
ニゃフルルに
帰ってきました
サイモンさんも
おばちゃんたちも
オブリガート
2010年7月19日月曜日
7月6日 128日目 ケニア クレータークレーまー
今日のお昼から
サファリに連れて行ってくれるということで
ナイロビとエンブでもあった
日本語ぺらぺらのケニア人
サイモンさんと
ブラジルから
来てた
おばちゃん二人と一緒に
ナクルという街にある
国立公園に
行くことに
サイモンさんが
おばちゃん二人を案内するということで
それに
便乗させてもらう形で
着いていった訳ですが
おばちゃん二人がとても強烈でした
最初に行った場所は
クレーターで
隕石が落ちてきたという話が残っている場所で
ものすごい
規模のクレーターでした
すげー
すげー
と騒いでいると
おばちゃんが
「こんなもんか」
「もっとすごいと思っていた」
と
爆弾発言 笑
ボランティア精神で
ドライバーをしている
サイモンさんにとっては
かなりショックな言葉だったらしく
「前連れて来た日本人は喜んでくれたのにな…」
と目に見える落ち込みようだった
其の後も
おばあちゃんは
自由奔放な発言を繰り返し
あーしろだの
こーしろだの
宮沢賢治もびっくりの
注文の多い小うるさいおばさん
でした
宿に着き
おばさん達から
開放されたサイモンさんから
とりあえず飲みにいこう!
と言われ
飲みに行きました
そして
ビール片手に
サイモンさんの
流暢な日本語で
愚痴を聞きました 笑
あまりにも
可哀相だったので
ビールをおごってあげると
「イヤー森さんがいてくれてよかったです!」
どうやら
役に立ったみたいです 笑
さぁ
明日は
本番です
7月4日 126日目 ケニア ちゃんと伝える
昨日
ここの
NGOを立ち上げた人から
「君の体験を聞かせてあげて」
といわれました
天理教には
朝のお勤めがあり
そこに
ここの学校の生徒などが
来て
みんなで
お祈りをするわけですが
そこに
話をするという
場面で
名前を呼ばれ
今までの旅の経験を語らせていただきました
僕が旅した
国
タイ
カンボジア
インドネシア
ベトナム
ラオス
マレーシア
シンガポール
インド
ネパール
そして
ケニア
それぞれの国で感じた
印象や体験を
およそ40~50人の
子ども達の前で
時折
みんなに
質問を投げかけながら
30分ほど話て
最後には
応援やサポートしてくれた
「友達と家族に感謝しています」
「今僕は幸せです」
という
教科書通りの言葉で
締めました
本当にへたくそな英語で
どれだけ伝わったか
不安になっていたけど
其の後
施設内を歩いていたら
子ども達が
質問攻めをしてきました 笑
俺の話で
とっても興味を持ってくれたみたいです
日本のことも
聞かれたので
たくさん紹介してきました
何か伝えることが
こんなに楽しいこととは思わなかったです
この言葉に影響されて
外国に行きたいという気持ちが
大きくなって
国が発展する
なんて
大きな事を考えてしまいました 笑
でも
今思えば
誰かに
伝えてもらった言葉というものは
自分の人生に大きい
影響を及ぼしているとかんじた
それは
友達
家族
さらには
TV
音楽
色々
媒体はあるけれど
それが血肉となって
今のおれになっている
気がした
誰かに
何かを伝えるということ
もし
ポジティブなものを
与えれることが出来るなら
最高な仕事なんじゃないかなと感じた
結局は
自己満足な世界なんだけど
世の中は
自分が満足しながら
他人が満足するのが
やっぱり最高なんだよ
一番難しいけど
ここの
NGOを立ち上げた人から
「君の体験を聞かせてあげて」
といわれました
天理教には
朝のお勤めがあり
そこに
ここの学校の生徒などが
来て
みんなで
お祈りをするわけですが
そこに
話をするという
場面で
名前を呼ばれ
今までの旅の経験を語らせていただきました
僕が旅した
国
タイ
カンボジア
インドネシア
ベトナム
ラオス
マレーシア
シンガポール
インド
ネパール
そして
ケニア
それぞれの国で感じた
印象や体験を
およそ40~50人の
子ども達の前で
時折
みんなに
質問を投げかけながら
30分ほど話て
最後には
応援やサポートしてくれた
「友達と家族に感謝しています」
「今僕は幸せです」
という
教科書通りの言葉で
締めました
本当にへたくそな英語で
どれだけ伝わったか
不安になっていたけど
其の後
施設内を歩いていたら
子ども達が
質問攻めをしてきました 笑
俺の話で
とっても興味を持ってくれたみたいです
日本のことも
聞かれたので
たくさん紹介してきました
何か伝えることが
こんなに楽しいこととは思わなかったです
この言葉に影響されて
外国に行きたいという気持ちが
大きくなって
国が発展する
なんて
大きな事を考えてしまいました 笑
でも
今思えば
誰かに
伝えてもらった言葉というものは
自分の人生に大きい
影響を及ぼしているとかんじた
それは
友達
家族
さらには
TV
音楽
色々
媒体はあるけれど
それが血肉となって
今のおれになっている
気がした
誰かに
何かを伝えるということ
もし
ポジティブなものを
与えれることが出来るなら
最高な仕事なんじゃないかなと感じた
結局は
自己満足な世界なんだけど
世の中は
自分が満足しながら
他人が満足するのが
やっぱり最高なんだよ
一番難しいけど
7月3日 125日目 ケニア お祈り
今日は
昨日の日記にも書いたように
天理教の
お祭りが
自分も端っこの方で
ゆっくりと
眠気と戦いながら
参加しました
いつもは
自分と近い人たちとしていたので
こんな大人数の
しかも
他人
しかも
大量のケニア人と
とても不思議な感じがしました
一番面白かったのは
キリスト教徒も
ここで
話を聞きにきたり
一緒にお祈りをしたりすることでした
こうやって見ると
宗教もくそも
関係ねー
何を信じようが
自分の勝手だし
そっちの方が
ハッピーだ!!
といった感じだった
他文化と他文化が混ざり合った
しかも良いところが
とってもいいところだなと感じた
夜
みんなと飯食って
部屋の戻るとき
ふと見上げたら
なまら
星がきれいだった
夜危ないから
外には出ちゃいけない
と言われていたので
初めて
ゆっくりと
見上げた
そういえば俺は
アフリカにいるんだ
ケニアは
明かりが少ないんだな
そんなこと
ふと
思った
2010年7月13日火曜日
7月2日 124日目 ケニア エンブへ
今日は
家族総出で
エンブという街に行くことになりました
この街に行く理由は
実は
明日
日本の天理教の
ツキナミ祭と呼ばれるものに参加するために
ケニアにある天理教の教会に
行くことになりました
僕は
天理教ではないにですが
小さい頃から
天理教とは
なじみが深く
奈良の天理にも
一度行ったことがあります
なので
ケニアにそんな教会があることに驚きながら
向かったわけです
その教会があるところには
NGOの施設が作った
病院
小学校
専門学校が併設しており
ケニア人のスタッフと
日本人のボランティアで
活動されていました
ここを一からから作り上げた人は
ケニアで20年間活動し続けているそうです
続けることに
意味があるんだなーと
深く考えました
とりあえず
今日はガーナが負けてしまい
がっかりです
PKのつらさ
元GKの俺には
わかります
家族総出で
エンブという街に行くことになりました
この街に行く理由は
実は
明日
日本の天理教の
ツキナミ祭と呼ばれるものに参加するために
ケニアにある天理教の教会に
行くことになりました
僕は
天理教ではないにですが
小さい頃から
天理教とは
なじみが深く
奈良の天理にも
一度行ったことがあります
なので
ケニアにそんな教会があることに驚きながら
向かったわけです
その教会があるところには
NGOの施設が作った
病院
小学校
専門学校が併設しており
ケニア人のスタッフと
日本人のボランティアで
活動されていました
ここを一からから作り上げた人は
ケニアで20年間活動し続けているそうです
続けることに
意味があるんだなーと
深く考えました
とりあえず
今日はガーナが負けてしまい
がっかりです
PKのつらさ
元GKの俺には
わかります
2010年7月2日金曜日
7月1日 123日目 ケニア 不足?充分?
今日
昨日訪れた
学校へ
設備は整っていないとはいえ
前の学校と変わらず
子どもたちには大歓迎されて
一緒に授業をうけていました
子どもたちは前のめりに
集中して授業を受けて
先生たちは
設備の悪さを
独自の工夫で
それを補っていた
この二つの学校が行っている
授業には差がないんだと感じた
休み時間
俺の世話をしてくれた
教頭先生と校長先生と話をしていた
教頭先生は
社会科の先生で
色々な話をしてくれた
歴史がすきといって
「日本と言えば広島だね」
と言っていて
やっぱりこっちでも原爆のことを教えているんだ
そう思っていると
校長先生が
「広島はなぜ有名なの?」
という質問をされました
僕はびっくりして
「原爆が落ちたんです」
そういうと
とてもビックリしていました
「ケニアでは原爆のことは教えないんですか?」
そう質問すると
「高校では教える」
つまり義務教育ないでは
原爆のことは教えないそうだ
社会科の教科書を見てみると
ほとんどが
アフリカの地理だった
「この内容で充分?」
そう質問すると
「もちろん!たくさんあるしょ?」
アフリカに住むヒトとしては
これで充分なのだろうか?
なんで
じゃあ俺たちは
色んな国の歴史を勉強するの?
これは
充分?不足?
昨日訪れた
学校へ
設備は整っていないとはいえ
前の学校と変わらず
子どもたちには大歓迎されて
一緒に授業をうけていました
子どもたちは前のめりに
集中して授業を受けて
先生たちは
設備の悪さを
独自の工夫で
それを補っていた
この二つの学校が行っている
授業には差がないんだと感じた
休み時間
俺の世話をしてくれた
教頭先生と校長先生と話をしていた
教頭先生は
社会科の先生で
色々な話をしてくれた
歴史がすきといって
「日本と言えば広島だね」
と言っていて
やっぱりこっちでも原爆のことを教えているんだ
そう思っていると
校長先生が
「広島はなぜ有名なの?」
という質問をされました
僕はびっくりして
「原爆が落ちたんです」
そういうと
とてもビックリしていました
「ケニアでは原爆のことは教えないんですか?」
そう質問すると
「高校では教える」
つまり義務教育ないでは
原爆のことは教えないそうだ
社会科の教科書を見てみると
ほとんどが
アフリカの地理だった
「この内容で充分?」
そう質問すると
「もちろん!たくさんあるしょ?」
アフリカに住むヒトとしては
これで充分なのだろうか?
なんで
じゃあ俺たちは
色んな国の歴史を勉強するの?
これは
充分?不足?
6月30日 122日目 ケニア スラムだけどスラムじゃない けどちょっとスラム
昨日まで
通わせてもらった
学校は
それなりに
裕福な家庭のこどもたちが
通う学校でした
そして
今日
スラムだけど
スラムじゃない
だけどちょっとスラムの学校の
校長先生とお話させてもらいました
そのような
環境にあるため
学校の設備は
やはり
ひどい感じがしました
昨日と一昨日
行った学校も
日本の学校に比べたら
全然乏しいものですが
それでも良いほうだと気づかされました
校長先生は
とても優しい方で
色々おしえてくれました
ケニアでは
ティーチャーズスクールという
二年生の学校があり
それを卒業すると
先生になれます
それで
もし校長などの役職につくと
大学で学士の課程を
取りに行くそうです
学校の仕事の大半は
校長先生一人でやっており
さらに大学に通うという
過密スケジュールをこなしていました
去年卒業して今度は
修士を取りに行くそうです
すばらしい方でした
この学校にも
明日
一緒に授業を受けさせてくれることになりました
快く受け入れてくれる
先生方に
心から感謝です
通わせてもらった
学校は
それなりに
裕福な家庭のこどもたちが
通う学校でした
そして
今日
スラムだけど
スラムじゃない
だけどちょっとスラムの学校の
校長先生とお話させてもらいました
そのような
環境にあるため
学校の設備は
やはり
ひどい感じがしました
昨日と一昨日
行った学校も
日本の学校に比べたら
全然乏しいものですが
それでも良いほうだと気づかされました
校長先生は
とても優しい方で
色々おしえてくれました
ケニアでは
ティーチャーズスクールという
二年生の学校があり
それを卒業すると
先生になれます
それで
もし校長などの役職につくと
大学で学士の課程を
取りに行くそうです
学校の仕事の大半は
校長先生一人でやっており
さらに大学に通うという
過密スケジュールをこなしていました
去年卒業して今度は
修士を取りに行くそうです
すばらしい方でした
この学校にも
明日
一緒に授業を受けさせてくれることになりました
快く受け入れてくれる
先生方に
心から感謝です
6月29日 121日目 ケニア 写真
今日も
ニャンダルワスクールにお邪魔して
子どもたちに混じって
授業を受けてきました
やはり
みんなから
大歓迎を受け
今日も最高に
楽しい一日でした
しかし
誰がリークしたか
わからないが
教室にいくと
「国歌を歌って!!」
と言われまくった 笑
こっちの
体育の時間は
まさに
フリーダムでした
面白そうなので
写真を撮ろうとすると
みんな
ものすごい人数が集まってきます
集合写真みたいになってしまう 笑
一緒にとろうと思ったけど
もみくちゃにされました
今日も
たくさん遊んで楽しかった
明日は
違う学校の校長先生に会えるらしい
ニャンダルワスクールにお邪魔して
子どもたちに混じって
授業を受けてきました
やはり
みんなから
大歓迎を受け
今日も最高に
楽しい一日でした
しかし
誰がリークしたか
わからないが
教室にいくと
「国歌を歌って!!」
と言われまくった 笑
こっちの
体育の時間は
まさに
フリーダムでした
面白そうなので
写真を撮ろうとすると
みんな
ものすごい人数が集まってきます
集合写真みたいになってしまう 笑
一緒にとろうと思ったけど
もみくちゃにされました
今日も
たくさん遊んで楽しかった
明日は
違う学校の校長先生に会えるらしい
6月28日 120日目 ケニア 初登校日
今日は
ドキドキの
初登校日です 笑
この前
話をさせてもらった
ワンゴンベさんが勤めている学校
ニャンダルワスクールに
お邪魔しました
朝
登校すると
早速
朝礼があり
全校生徒が集まっていました
そして
まさかの
全校生徒の前で
つたない英語で
自己紹介
一通り
お決まりの挨拶をして
最後に
「プリーズティー地みーいんぐりっしゅあんどすわひり」
というと
爆笑と共に
拍手が起きました
笑いがとれたから
とりあえずは満足です 笑
そして
750人のケニア人の学校に入った
日本人の
僕は
注目の的
みんなにものすごく
見られます
色んな
教室に行くと
大歓迎で
「こっち座って!こっち座って!」
っとみんなにせがまれます
四年生のクラスでは
歌ってくれました
そして
変わりに何か歌って
と言われ
何も思いつかず
もじもじしていると
「じゃあ国歌歌って!!」
と言われ
君が代を
爆音できかせてやりました
みんな大喜びでした 笑
そんなこんなで
一日が終わって
子どもたちと
バイバイして
先生たちと
色んな話をして
帰ってからはいつもどおり
サッカーをしてきました
違う国の学校に行くことは
ほんとに学ぶことが多いです
でも
そんなこと抜きにしても
かわいい子どもたちと
優しい先生たちと
一緒にすごすだけで
とっても楽しいです
ドキドキの
初登校日です 笑
この前
話をさせてもらった
ワンゴンベさんが勤めている学校
ニャンダルワスクールに
お邪魔しました
朝
登校すると
早速
朝礼があり
全校生徒が集まっていました
そして
まさかの
全校生徒の前で
つたない英語で
自己紹介
一通り
お決まりの挨拶をして
最後に
「プリーズティー地みーいんぐりっしゅあんどすわひり」
というと
爆笑と共に
拍手が起きました
笑いがとれたから
とりあえずは満足です 笑
そして
750人のケニア人の学校に入った
日本人の
僕は
注目の的
みんなにものすごく
見られます
色んな
教室に行くと
大歓迎で
「こっち座って!こっち座って!」
っとみんなにせがまれます
四年生のクラスでは
歌ってくれました
そして
変わりに何か歌って
と言われ
何も思いつかず
もじもじしていると
「じゃあ国歌歌って!!」
と言われ
君が代を
爆音できかせてやりました
みんな大喜びでした 笑
そんなこんなで
一日が終わって
子どもたちと
バイバイして
先生たちと
色んな話をして
帰ってからはいつもどおり
サッカーをしてきました
違う国の学校に行くことは
ほんとに学ぶことが多いです
でも
そんなこと抜きにしても
かわいい子どもたちと
優しい先生たちと
一緒にすごすだけで
とっても楽しいです
6月27日 119日目 ケニア 自ら手繰り寄せて
ケニアでは
数年前
大統領選挙がありました
ケニアではその選挙の影響で
部族が
対立していました
ケニアでは
キクユ族という部族と
その他の部族が対立し
殺し合いや
破壊行為という
暴動が各地で行われた
ケニアの西部に
ある少年がいた
少年は小さい頃
親をエイズで亡くし
キクユ人の知り合いに
育ててもらっていた
しかし
キクユ人は
東部で主に生活している部族で
西部にいるのは
とても危ない
キクユ人の知り合いは
何の連絡も無しに
蒸発してしまった
少年は
文字通り
一文無しになり
家もなくなり
ストーリーとチルドレンになった
その頃
東部の方では
一人の日本人が
サッカーの指導をしていて
ケニアの全国紙に取り上げられた
その新聞には
してもいないのに
「恵まれない子のホストをして育てている」
というニュアンスの記事になっていた
所は戻って
西部
ストリートチルドレンになったそのこは
荷物を運んで
日銭をもらって
何とか生きていた
そのとき
ひょんと新聞を見たときに
「日本人がホストして育てている」
という記事を目にした
これだ
彼はそれから二ヶ月
彼は日銭を稼ぎ
バス代は足りなかったが
何とか交渉して
日本人の住んでいる
街へとたどり着いた
日本人のサッカー教えているところに
すごく汚い格好をした
ストリートチルドレンがやってきた
しかし
すごくきれいな英語を使っていた
ストリートチルドレンは
基本は
学校に行かないので
英語などしゃべれるわけない
話を聞くと
そういううわけであった
しかし
そこで
その話を鵜呑みにするわけにはいかない
もしかしたら
うそをついて
お金が欲しいだけの可能性がある
彼には
帰りの運賃を渡し
親の死亡診断書
そして
州の区長に
手がみを貰ってきたら
支援をしようと
約束した
それから
一週間後ぐらいに
区長から電話
「こういう子どもが来たんだがどういうこと?」
説明をすると
「わかった手紙を書いて、うちでしばらく預かろう」
そういって
しばらくすると
また日本人が住んでいる町にやってきた
そして
日本人は支援を始めた
少年は
行った学校で
いきなり勉強で一番をとり
朝3:30におきて勉強して
州で一番の高校に入った
日本人はそんな彼を
実の息子のように
支援続けているのでした
誰かを助けようと思っても
限りがある
お金
体力
その他諸々
それを選ぶのも難しいこと
だけど
実は
それは
もしかしたら
自分で手繰り寄せることができるのかも
こんな風に
数年前
大統領選挙がありました
ケニアではその選挙の影響で
部族が
対立していました
ケニアでは
キクユ族という部族と
その他の部族が対立し
殺し合いや
破壊行為という
暴動が各地で行われた
ケニアの西部に
ある少年がいた
少年は小さい頃
親をエイズで亡くし
キクユ人の知り合いに
育ててもらっていた
しかし
キクユ人は
東部で主に生活している部族で
西部にいるのは
とても危ない
キクユ人の知り合いは
何の連絡も無しに
蒸発してしまった
少年は
文字通り
一文無しになり
家もなくなり
ストーリーとチルドレンになった
その頃
東部の方では
一人の日本人が
サッカーの指導をしていて
ケニアの全国紙に取り上げられた
その新聞には
してもいないのに
「恵まれない子のホストをして育てている」
というニュアンスの記事になっていた
所は戻って
西部
ストリートチルドレンになったそのこは
荷物を運んで
日銭をもらって
何とか生きていた
そのとき
ひょんと新聞を見たときに
「日本人がホストして育てている」
という記事を目にした
これだ
彼はそれから二ヶ月
彼は日銭を稼ぎ
バス代は足りなかったが
何とか交渉して
日本人の住んでいる
街へとたどり着いた
日本人のサッカー教えているところに
すごく汚い格好をした
ストリートチルドレンがやってきた
しかし
すごくきれいな英語を使っていた
ストリートチルドレンは
基本は
学校に行かないので
英語などしゃべれるわけない
話を聞くと
そういううわけであった
しかし
そこで
その話を鵜呑みにするわけにはいかない
もしかしたら
うそをついて
お金が欲しいだけの可能性がある
彼には
帰りの運賃を渡し
親の死亡診断書
そして
州の区長に
手がみを貰ってきたら
支援をしようと
約束した
それから
一週間後ぐらいに
区長から電話
「こういう子どもが来たんだがどういうこと?」
説明をすると
「わかった手紙を書いて、うちでしばらく預かろう」
そういって
しばらくすると
また日本人が住んでいる町にやってきた
そして
日本人は支援を始めた
少年は
行った学校で
いきなり勉強で一番をとり
朝3:30におきて勉強して
州で一番の高校に入った
日本人はそんな彼を
実の息子のように
支援続けているのでした
誰かを助けようと思っても
限りがある
お金
体力
その他諸々
それを選ぶのも難しいこと
だけど
実は
それは
もしかしたら
自分で手繰り寄せることができるのかも
こんな風に
6月26日 118日目 ケニア 学校見学
今日
お世話になっている人に
お願いして
学校見学
プラス
そこの学校の先生
Mrs ワンゴンベに
インタビューというか
質問をたくさんしてきました
ワンゴンベさんは
とてもやさしくて
色んなお世話をしてくれました
そして
学校を
ぐるぐる回ると
びっくりするぐらい
子どもたちが
歓迎してくれました
外国からの人が
とても珍しいみたいで
有名人みたいな
扱いを受けました
高校の修学旅行で
韓国の女子高を訪問したときに
似てました
この学校に
月曜日
一日中お世話になることが
決まったのでよかったです
帰り
湖で
野生のかばを見ました
この町の人は
夜
かばに襲われるので
外に出ません
かばは
夜行性で
地上最強の生物らしいです
お世話になっている人に
お願いして
学校見学
プラス
そこの学校の先生
Mrs ワンゴンベに
インタビューというか
質問をたくさんしてきました
ワンゴンベさんは
とてもやさしくて
色んなお世話をしてくれました
そして
学校を
ぐるぐる回ると
びっくりするぐらい
子どもたちが
歓迎してくれました
外国からの人が
とても珍しいみたいで
有名人みたいな
扱いを受けました
高校の修学旅行で
韓国の女子高を訪問したときに
似てました
この学校に
月曜日
一日中お世話になることが
決まったのでよかったです
帰り
湖で
野生のかばを見ました
この町の人は
夜
かばに襲われるので
外に出ません
かばは
夜行性で
地上最強の生物らしいです
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