行った場所


より大きな地図で 行った場所 を表示

2010年7月21日水曜日

7月20日 142日目 ケニア 視野を広げるために

今日は

校長先生と話をさせてもらった

校長先生は

社会の先生で

今も

授業で

社会を教えてる

今まで学校を見てきた中で

疑問を持ったことを

ぶつけてみた

もっと

「ほかの世界を知ることがひつようだとおもいませんか?」

校長先生は大いに賛同してくれた

ほかの国が

今どうなっていて

どのように発展して

どのような問題点があるのか

今の世の中が

どうなっているのか

自分たちの周りのことを

知っているだけでいいのだろうか

ケニアの子ども達に

将来の夢を聞くと

医者や

弁護士になってしまう

お金をたくさん稼ぐ=成功

確かにそうだと思う

けど

それしか

なりたいものがないのは

悲しすぎると思った

もっとたくさん夢見てもいいんじゃないかと思った

ライト兄弟が

空を飛ぼうとして

飛行機を作ったように

 色々な可能性が消されていく

国と

教育

もっと視野を広げて

可能性を広げて

7月19日 141日目 ケニア 疲れを引きづりながら

ケニア山

帰ってきたら

顔が

日焼けして

足が痛くて

疲れが残っていた

けど

今日

私立の学校の見学に行ってきた

やはり

私立だけあって

賢そうな子だらけだった

ここの子達は

寮に住んでいる子どもが多いので

夜の十時ぐらいまで

勉強していた

前訪れたとき

自習してた子ども達に

算数を教えてあげた

それをまだ覚えてくれたみたいで

「亮介!マスマテックス!」

と呼んでくれたけど

時間が無くて

教えることが出来なかった
 
ちょっとしたことだったけど

喜んでくれたみたいだし

俺も喜んだ

7月18日 140日目 ケニア ケニア山3日目

深夜1時

起床

なぜこんな時間に起きるかというと

俺らのスケジュールは

今日中に

頂上に上り

そして

ロッジにかえらないといけない

弾丸のスケジュールだからです

そして

チャイを少しのみ

ビスケットを食べて

出発

昨日まで少しあった

高山病の症状は

出ていなく

意外に

すっきりしていた

ほかの人たちも

何とか

体調を保ち出発

懐中電灯の明かりだけを頼りに

ガイドさんの後ろ着いていく

ふと見上げると

満点の星空!!

こんなに

きれいな星空見たこと無い!!

というか

星が近い!!

そんな状況で

足元をきにしつつ

上を見上げながら

頂上を目指す

しかし

やはり

一筋縄ではいかず

山を登るにつれて

だんだん急になっていく

そして

這い蹲るように

石をつかみながら

登っていく

そして

上り続けていき

ふと

東の空を見上げると

明るくなってきている!!

すごい!!

雲の海だ!!

早く

サンライズまでに

間に合わせようと

みんなでかんばって登る

文字通り

這いつくばって

食らいついて

本当に

しんどい道を登っていた

そして

ついに

頂上到達!!

サンライズに間に合った!!



おお

おおおお!!

雲の中から

太陽が出てきた!
!

なんて

きれいなんだ!!

きつい思いをした分

本当にすごいものが見れた!!

大満足

帰り道

明るくなってきた道をみて

登ったみんなが言った言葉が

「良くこんなところ登ったな…」

暗くてよかった 笑

明るかったら

諦めていたかもね 笑

そんなこんなで

帰り道も

つらい道で

口数少なく

でも何とか

ロッジまで

帰ってくることが出来た

1時半から歩き始めて

朝食時間を抜いても

合計で

15時間は歩いた

もらったものは

本当にきれいな景色と

足の裏の水ぶくれ

一生忘れない

きれいなふうけい

はぁー

ため息が出る

でも

もう登らない!

きつ過ぎるわ!!笑











おまけ
○この中に間違いがひとつあります

7月17日 139日目 ケニア ケニア山二日目


とうとう

今日は

自分の足で歩くことに



軽い朝食をとって

出発!!

ポーターを雇わず

ガイドと

調理人だけなので

荷物は自分で持つことに

歩き始めると

すぐに

広い大地と

高い山が聳え立つ

「今からあれをのぼるのか…」

とても不思議な感覚だった

もう3000mのところにいるので

すでに

息切れが始まる

歩き始めて2時間ほどで

川に着いた

本当は

ここまで

車で送ってくれるらしい

うらやましい



そこから

まだあがっていくと

だんだん

周りの風景が変わっていき

石が大きくなってきた

そして

高山植物が見えてきた

対岸をみると

ものすごい断崖絶壁が

地上じゃ見られない

光景に

とっても

興奮してきた

更にしばらく歩いていると

だんだん頭に違和感が出てきた

(まさかこれは…)

高山病の症状かと思ったが

まだ

少し痛いだけなので

大丈夫だった

そこから登っていく

だんだん

疲労が蓄積していって

休む時間が多くなって

なかなか

前に

進まなくなってきた

しかし

それでも着実に

前に進むと

一泊するための

ハットが見えた!!

ここで

晩御飯に

クリームパスタを食べ

気温0度の中

寝袋ひとつで寝た

みんなは寒くてねれなかったらしいが

俺は

ケニア人に

押し競饅頭みたいにされていたので

あったかく

ぐっすり眠れました

高山病の症状も

まだ軽くしか出ていないので

大丈夫です

とうとう

明日は

頂上へ

アタック!!!!

7月16日 138日目 ケニア ケニア山一日目

今日は

とうとう

ケニア山出発

といっても

最初はロッジに一泊するので

そこまでは

車で

その途中の道で

野生の象をみた

幸先いいね!!

そして

ロッジに到着

まずは

体を慣らすために

少しランニング

このロッジで

すでに

3000m

俺がネパールで

登った山ぐらいある 笑

そこで走ると

なまらきつい!!

そしてやっぱり

夜は

カレー!!

うまかった

明日は

とうとう自分の足で

登山開始!!

7月15日 137日目 ケニア 出発前夜

今日は

出発前夜で

みんなで

食料の買出しや

重要な

ものを

そろえた

その中で

一番必要といわれたのは

頭痛薬

マジで

高山病で

頭が痛くなるらしい

不安はいっぱいある

けど

絶対

行きたい!!!

7月14日 136日目 ケニア 気をつけることは

今日は

エンブで移動

ケニアに来て

もう少しで一ヶ月経つが

マタツというものに乗ったことが無かった

マタツと言うものは

ケニアで

市民の足になっている

車で

それはトヨタのハイエースで

旅人はみんな使うようですが

俺は今まで使ったことがありませんでした

今日はそれに乗り

エンブへ

途中で

ニエリという街で

乗換えをした

その時にみた

マタツの会社の名前

「ナイロビ ニッサンズ」

語呂のよさと

トヨタなのにという

矛盾で

とても気に入りました

もしサッカーチームを作ったら

この名前にしようと思います

そんなこんなで

エンブに到着

そこで

明後日のケニア山に向けて

ミーティング

経験者によると

寒さ

高山病

それと

急勾配で

本当に辛いらしい…

それでも約5000mの山からの

朝焼け…

朝日

雲海

是非みたい!!

7月13日 135日目 ケニア 決定!!

明日

ケニア山に登ることに

決定!!

ケニア山は

アフリカで二番目に大きい山で

標高が

約5000m


ネパールでの標高は

更新しそうです!

ケニア山の準備をするために

今から

また

エンブに行ってきます

そこで活動している

NGOの人と一緒に

ケニア山に登ることになりました

日本では味わえない

世界

楽しみだ

7月12日 134日目 ケニア やばい

今日寝すぎた

おきたら

ヒルの

1時だった

9月11日 133日目 ケニア 決勝戦

とうとうワールドカップが終わった

優勝は下馬評の高かった

スペイン

決勝は応援していたけど

何か

みんなの予想通りで

面白くない

てかオランダが可愛そうだった

二位のチームが

何で

一位のチームに花道を

作ってやらないと

いけないんだ

最大の屈辱ジャン

敗者には

この権利はなし

そんな見せつけ

オランダもがんばった

スポーツの世界は

非情

いままでどんな

過程があろうとも

結果がすべて

勝たなくちゃ

7月10日 132日目 ケニア 三位決定戦

ドイツを

応援していたので

勝ってよかった

みんな

若手のエジルに要注目

7月9日 131日目 ケニア 実は…

実は

ケニアに来てから

悩ませていることがある

それは

「切れ痔」

便を排出するときに

半端じゃない

痛みと

出血

これが痛くて

クリームを塗っていたんですが

まだ

治らず

昨日

飲み薬を飲んでみることにしました

薬の作用は

「便を柔らかくする」

飲んだ



おなかに激痛

トイレに駆け込む

三回繰り返す

朝起きる

まだ痛い

結局

薬は様子見に

また

肛門に

クリームを

塗ることに

自分のけつの穴に

クリームを塗る

その時

姿といったら

情けないこと

この上ないです

森亮介は

全世界の

痔の方を

応援しています

7月8日 130日目 ケニア そういえば

 今日は

特に何もしなかった

サッカーしただけ

そういえばドイツが負けた

俺の

優勝予想国だったのに

7月7日 129日目 ケニア 動物王国


今日は

ナクル国立公園に

本当はここは

一人

60ドルはらわなくてはいけないのですが

僕は

裏技を使って

安く入れました

コネバンザーイ!!

いままで

ほとんどサッカーしかしていなかった

俺には

どことっても

目に飛び込んでくるのは

ザ・アフリカ!!

な光景ばっかりです

シマウマ

インパラ

サイ

バッファロー

きりん

そして

ナクル名物

フラミンゴ

沖縄のネオパーク並の素晴らしいところでした

ここでも

サイモンさんは

ブラジルの

おばちゃんの達に振り回されていました 笑

でも

そのおかげで

おばちゃんたちも

大満足だったようです

サイモンさん

よく頑張った!!笑

俺自身も大満足で

ニゃフルルに

帰ってきました

サイモンさんも

おばちゃんたちも

オブリガート

2010年7月19日月曜日

7月6日 128日目 ケニア クレータークレーまー



今日のお昼から

サファリに連れて行ってくれるということで

ナイロビとエンブでもあった

日本語ぺらぺらのケニア人

サイモンさんと

ブラジルから

来てた

おばちゃん二人と一緒に

ナクルという街にある

国立公園に

行くことに

サイモンさんが

おばちゃん二人を案内するということで

それに

便乗させてもらう形で

着いていった訳ですが

おばちゃん二人がとても強烈でした

最初に行った場所は

クレーターで

隕石が落ちてきたという話が残っている場所で

ものすごい

規模のクレーターでした

すげー

すげー

と騒いでいると

おばちゃんが

「こんなもんか」

「もっとすごいと思っていた」



爆弾発言 笑

ボランティア精神で

ドライバーをしている

サイモンさんにとっては

かなりショックな言葉だったらしく

「前連れて来た日本人は喜んでくれたのにな…」

と目に見える落ち込みようだった

其の後も

おばあちゃんは

自由奔放な発言を繰り返し

あーしろだの

こーしろだの

宮沢賢治もびっくりの

注文の多い小うるさいおばさん

でした

宿に着き

おばさん達から

開放されたサイモンさんから

とりあえず飲みにいこう!

と言われ

飲みに行きました

そして

ビール片手に

サイモンさんの

流暢な日本語で

愚痴を聞きました 笑

あまりにも

可哀相だったので

ビールをおごってあげると

「イヤー森さんがいてくれてよかったです!」

どうやら

役に立ったみたいです 笑

さぁ

明日は

本番です

7月5日 127日目 ケニア 高地

エンブから

ニャフルルに帰ってきて

思ったこと

標高で

ここまで気温が変わるか…

エンブでは半そでだったのに



白い息でてるよ!!

7月4日 126日目 ケニア ちゃんと伝える

昨日

ここの

NGOを立ち上げた人から

「君の体験を聞かせてあげて」

といわれました

天理教には

朝のお勤めがあり

そこに

ここの学校の生徒などが

来て

みんなで

お祈りをするわけですが

そこに

話をするという

場面で

名前を呼ばれ

今までの旅の経験を語らせていただきました

僕が旅した



タイ

カンボジア

インドネシア

ベトナム

ラオス

マレーシア

シンガポール

インド

ネパール

そして

ケニア

それぞれの国で感じた

印象や体験を

およそ40~50人の

子ども達の前で

時折

みんなに

質問を投げかけながら

30分ほど話て

最後には

応援やサポートしてくれた

「友達と家族に感謝しています」

「今僕は幸せです」

という

教科書通りの言葉で

締めました

本当にへたくそな英語で

どれだけ伝わったか

不安になっていたけど

其の後

施設内を歩いていたら

子ども達が

質問攻めをしてきました 笑

俺の話で

とっても興味を持ってくれたみたいです

日本のことも

聞かれたので

たくさん紹介してきました

何か伝えることが

こんなに楽しいこととは思わなかったです

この言葉に影響されて

外国に行きたいという気持ちが

大きくなって

国が発展する

なんて

大きな事を考えてしまいました 笑

でも

今思えば

誰かに

伝えてもらった言葉というものは

自分の人生に大きい

影響を及ぼしているとかんじた

それは

友達

家族

さらには

TV

音楽

色々

媒体はあるけれど

それが血肉となって

今のおれになっている

気がした

誰かに

何かを伝えるということ

もし

ポジティブなものを

与えれることが出来るなら

最高な仕事なんじゃないかなと感じた

結局は

自己満足な世界なんだけど

世の中は

自分が満足しながら

他人が満足するのが

やっぱり最高なんだよ

一番難しいけど

7月3日 125日目 ケニア お祈り


今日は

昨日の日記にも書いたように

天理教の

お祭りが

自分も端っこの方で

ゆっくりと

眠気と戦いながら

参加しました

いつもは

自分と近い人たちとしていたので

こんな大人数の

しかも

他人

しかも

大量のケニア人と

とても不思議な感じがしました

一番面白かったのは

キリスト教徒も

ここで

話を聞きにきたり

一緒にお祈りをしたりすることでした

こうやって見ると

宗教もくそも

関係ねー

何を信じようが

自分の勝手だし

そっちの方が

ハッピーだ!!

といった感じだった

他文化と他文化が混ざり合った

しかも良いところが

とってもいいところだなと感じた



みんなと飯食って

部屋の戻るとき

ふと見上げたら

なまら

星がきれいだった

夜危ないから

外には出ちゃいけない

と言われていたので

初めて

ゆっくりと

見上げた

そういえば俺は

アフリカにいるんだ

ケニアは

明かりが少ないんだな

そんなこと

ふと

思った

2010年7月13日火曜日

7月2日 124日目 ケニア エンブへ

今日は

家族総出で

エンブという街に行くことになりました

この街に行く理由は

実は

明日

日本の天理教の

ツキナミ祭と呼ばれるものに参加するために

ケニアにある天理教の教会に

行くことになりました

僕は

天理教ではないにですが

小さい頃から

天理教とは

なじみが深く

奈良の天理にも

一度行ったことがあります

なので

ケニアにそんな教会があることに驚きながら

向かったわけです

その教会があるところには

NGOの施設が作った

病院

小学校

専門学校が併設しており

ケニア人のスタッフと

日本人のボランティアで

活動されていました

ここを一からから作り上げた人は

ケニアで20年間活動し続けているそうです

続けることに

意味があるんだなーと

深く考えました

とりあえず

今日はガーナが負けてしまい

がっかりです

PKのつらさ

元GKの俺には

わかります

2010年7月2日金曜日

7月1日 123日目 ケニア 不足?充分? 

今日

昨日訪れた

学校へ

設備は整っていないとはいえ

前の学校と変わらず

子どもたちには大歓迎されて

一緒に授業をうけていました

子どもたちは前のめりに

集中して授業を受けて

先生たちは

設備の悪さを

独自の工夫で

それを補っていた

この二つの学校が行っている

授業には差がないんだと感じた

休み時間

俺の世話をしてくれた

教頭先生と校長先生と話をしていた

教頭先生は

社会科の先生で

色々な話をしてくれた

歴史がすきといって

「日本と言えば広島だね」

と言っていて

やっぱりこっちでも原爆のことを教えているんだ

そう思っていると

校長先生が

「広島はなぜ有名なの?」

という質問をされました

僕はびっくりして

「原爆が落ちたんです」

そういうと

とてもビックリしていました

「ケニアでは原爆のことは教えないんですか?」

そう質問すると

「高校では教える」

つまり義務教育ないでは

原爆のことは教えないそうだ

社会科の教科書を見てみると

ほとんどが

アフリカの地理だった

「この内容で充分?」

そう質問すると

「もちろん!たくさんあるしょ?」

アフリカに住むヒトとしては

これで充分なのだろうか?

なんで

じゃあ俺たちは

色んな国の歴史を勉強するの?

これは

充分?不足?

6月30日 122日目 ケニア スラムだけどスラムじゃない けどちょっとスラム

昨日まで

通わせてもらった

学校は

それなりに

裕福な家庭のこどもたちが

通う学校でした

そして

今日

スラムだけど

スラムじゃない

だけどちょっとスラムの学校の

校長先生とお話させてもらいました

そのような

環境にあるため

学校の設備は

やはり

ひどい感じがしました

昨日と一昨日

行った学校も

日本の学校に比べたら

全然乏しいものですが

それでも良いほうだと気づかされました

校長先生は

とても優しい方で

色々おしえてくれました

ケニアでは

ティーチャーズスクールという

二年生の学校があり

それを卒業すると

先生になれます

それで

もし校長などの役職につくと

大学で学士の課程を

取りに行くそうです

学校の仕事の大半は

校長先生一人でやっており

さらに大学に通うという

過密スケジュールをこなしていました

去年卒業して今度は

修士を取りに行くそうです

すばらしい方でした

この学校にも

明日

一緒に授業を受けさせてくれることになりました

快く受け入れてくれる

先生方に

心から感謝です

6月29日 121日目 ケニア 写真

今日も

ニャンダルワスクールにお邪魔して

子どもたちに混じって

授業を受けてきました

やはり

みんなから

大歓迎を受け

今日も最高に

楽しい一日でした

しかし

誰がリークしたか

わからないが

教室にいくと

「国歌を歌って!!」

と言われまくった 笑

こっちの

体育の時間は

まさに

フリーダムでした

面白そうなので

写真を撮ろうとすると

みんな

ものすごい人数が集まってきます

集合写真みたいになってしまう 笑

一緒にとろうと思ったけど

もみくちゃにされました

今日も

たくさん遊んで楽しかった

明日は

違う学校の校長先生に会えるらしい

6月28日 120日目 ケニア 初登校日

今日は

ドキドキの

初登校日です 笑

この前

話をさせてもらった

ワンゴンベさんが勤めている学校

ニャンダルワスクールに

お邪魔しました



登校すると

早速

朝礼があり

全校生徒が集まっていました

そして

まさかの

全校生徒の前で

つたない英語で

自己紹介

一通り

お決まりの挨拶をして

最後に

「プリーズティー地みーいんぐりっしゅあんどすわひり」

というと

爆笑と共に

拍手が起きました

笑いがとれたから

とりあえずは満足です 笑

そして

750人のケニア人の学校に入った

日本人の

僕は

注目の的

みんなにものすごく

見られます

色んな

教室に行くと

大歓迎で

「こっち座って!こっち座って!」

っとみんなにせがまれます

四年生のクラスでは

歌ってくれました

そして

変わりに何か歌って

と言われ

何も思いつかず

もじもじしていると

「じゃあ国歌歌って!!」

と言われ

君が代を

爆音できかせてやりました 

みんな大喜びでした 笑

そんなこんなで

一日が終わって

子どもたちと

バイバイして

先生たちと

色んな話をして

帰ってからはいつもどおり

サッカーをしてきました

違う国の学校に行くことは

ほんとに学ぶことが多いです

でも

そんなこと抜きにしても

かわいい子どもたちと

優しい先生たちと

一緒にすごすだけで

とっても楽しいです

6月27日 119日目 ケニア 自ら手繰り寄せて

ケニアでは

数年前

大統領選挙がありました

ケニアではその選挙の影響で

部族が

対立していました

ケニアでは

キクユ族という部族と

その他の部族が対立し

殺し合いや

破壊行為という

暴動が各地で行われた

ケニアの西部に

ある少年がいた

少年は小さい頃

親をエイズで亡くし

キクユ人の知り合いに

育ててもらっていた

しかし

キクユ人は

東部で主に生活している部族で

西部にいるのは

とても危ない

キクユ人の知り合いは

何の連絡も無しに

蒸発してしまった

少年は

文字通り

一文無しになり

家もなくなり

ストーリーとチルドレンになった

その頃

東部の方では

一人の日本人が

サッカーの指導をしていて

ケニアの全国紙に取り上げられた

その新聞には

してもいないのに

「恵まれない子のホストをして育てている」

というニュアンスの記事になっていた

所は戻って

西部

ストリートチルドレンになったそのこは

荷物を運んで

日銭をもらって

何とか生きていた

そのとき

ひょんと新聞を見たときに

「日本人がホストして育てている」

という記事を目にした

これだ

彼はそれから二ヶ月

彼は日銭を稼ぎ

バス代は足りなかったが

何とか交渉して

日本人の住んでいる

街へとたどり着いた

日本人のサッカー教えているところに

すごく汚い格好をした

ストリートチルドレンがやってきた

しかし

すごくきれいな英語を使っていた

ストリートチルドレンは

基本は

学校に行かないので

英語などしゃべれるわけない

話を聞くと

そういううわけであった

しかし

そこで

その話を鵜呑みにするわけにはいかない

もしかしたら

うそをついて

お金が欲しいだけの可能性がある

彼には

帰りの運賃を渡し

親の死亡診断書

そして

州の区長に

手がみを貰ってきたら

支援をしようと

約束した

それから

一週間後ぐらいに

区長から電話

「こういう子どもが来たんだがどういうこと?」

説明をすると

「わかった手紙を書いて、うちでしばらく預かろう」

そういって

しばらくすると

また日本人が住んでいる町にやってきた

そして

日本人は支援を始めた

少年は

行った学校で

いきなり勉強で一番をとり

朝3:30におきて勉強して

州で一番の高校に入った

日本人はそんな彼を

実の息子のように

支援続けているのでした





誰かを助けようと思っても

限りがある

お金

体力

その他諸々

それを選ぶのも難しいこと

だけど

実は

それは

もしかしたら

自分で手繰り寄せることができるのかも

こんな風に

6月26日 118日目 ケニア 学校見学

今日

お世話になっている人に

お願いして

学校見学

プラス

そこの学校の先生

Mrs ワンゴンベに

インタビューというか

質問をたくさんしてきました

ワンゴンベさんは

とてもやさしくて

色んなお世話をしてくれました

そして

学校を

ぐるぐる回ると

びっくりするぐらい

子どもたちが

歓迎してくれました

外国からの人が

とても珍しいみたいで

有名人みたいな

扱いを受けました

高校の修学旅行で

韓国の女子高を訪問したときに

似てました

この学校に

月曜日

一日中お世話になることが

決まったのでよかったです

帰り

湖で

野生のかばを見ました

この町の人は



かばに襲われるので

外に出ません

かばは

夜行性で

地上最強の生物らしいです

6月25日 117日目 ケニア サッカーチーム

僕がお世話になってるチームです

子どもたち

日本から送ってもらった

服や

シューズが

穴のあくまで

使って

元気にサッカーしてます