今日は
早起きして
世界遺産である
ハロン湾に!
ここでは伝説があり
昔竜が降り立ち
外敵からここを守るために
吐き出した宝玉が
現在奇岩になって残っているということ
そこに
船で
ゆっくりとクルーズ
いい風が吹き
少し曇っていたけど
とってもいい景色
沖にある
この世のものとは思えない
サイズのでかい山が聳え立つ
なぜここにあるのか
どうしてここにできたのか
大学で
自然地理学実習でタッチューを計っていた
俺には不思議でたまりませんでした
竜が吐き出した伝説
そういわれるのも
納得の
すばらしい眺め
曇っていても十分素敵
むしろちょっと曇っているときの
太陽は好き
今もこのハロン湾には
100世帯が住んでいるらしい
ちっちゃい子どもも
大人顔負けに
ボートを漕いでいました
ハロン湾から帰ってきた後
たまたま出会った
日本人の方と屋台ビールを飲むことに
昔一年間旅をしたらしい
いろんな人に出会いながら
色んなはなしをする
旅の醍醐味を
満喫中
そんな
旅も一ヶ月経過
早いような
おそいような…
2010年3月31日水曜日
29日目 ベトナム ポッキング
朝
ハノイに到着
そこから宿探し
結構ぐるぐる回ったが
一時間後には見つけることが出来た
そこで初
クッキング
昨日かった
電子ポッドを使って
料理
二人でポッドを使った
クッキングなので
ポッキングと名づけました
まずは
インスタントラーメンから!笑
まずは
お湯を沸かします
そこから
沸騰したら
五種類のインスタントラーメンを入れます
後は待つだけ
出来上がり!
味はいろんな味が混ざって
おいしかったです!
そこでハノイのことを調べて
ちょっと観光
屋台でビールがおいてました
ビアガーデンみたいな感じかな
そこで
まずは
一杯
夜になってから
ふと思いついた
「ポットを使ってしゃぶしゃぶができるんじゃないか…」
ソンフォンに聞いてみると
「ナイスアイディア!!」
料理好きの
ソンフォンは
しゃぶしゃぶを知っていた
そこで
二人で食材探しに
キャベツはすぐにゲットできた
豆腐もその後すぐにできた(一丁五円!)
しかし
肝心の肉が…
もうほとんど閉まってしまっていた
肉を捜し求めて
歩くこと
二時間
とうとう
見つけることができなかった…
しゃぶしゃぶは次回に持ち越しに…
ハノイに到着
そこから宿探し
結構ぐるぐる回ったが
一時間後には見つけることが出来た
そこで初
クッキング
昨日かった
電子ポッドを使って
料理
二人でポッドを使った
クッキングなので
ポッキングと名づけました
まずは
インスタントラーメンから!笑
まずは
お湯を沸かします
そこから
沸騰したら
五種類のインスタントラーメンを入れます
後は待つだけ
出来上がり!
味はいろんな味が混ざって
おいしかったです!
そこでハノイのことを調べて
ちょっと観光
屋台でビールがおいてました
ビアガーデンみたいな感じかな
そこで
まずは
一杯
夜になってから
ふと思いついた
「ポットを使ってしゃぶしゃぶができるんじゃないか…」
ソンフォンに聞いてみると
「ナイスアイディア!!」
料理好きの
ソンフォンは
しゃぶしゃぶを知っていた
そこで
二人で食材探しに
キャベツはすぐにゲットできた
豆腐もその後すぐにできた(一丁五円!)
しかし
肝心の肉が…
もうほとんど閉まってしまっていた
肉を捜し求めて
歩くこと
二時間
とうとう
見つけることができなかった…
しゃぶしゃぶは次回に持ち越しに…
28日目 ベトナム 失ったもの
今日は
またもフエを散策
しかし
あいにく今日は雨
行くとろも限られてしまう…
ちょっと
歩いていたら
がんがん
雨が降ってきた
こりゃいかん
すぐさま
近くのモールに退散
そこに
あった
スーパーマーケットを見ていると
電子ポットがおいてあった
そこで
ソンフォンに
一つ提案
俺:これ一個買ったら飯代浮くんじゃない?
ソ:!?おおそれいいアイディアだよ!
予想以上の反応 笑
しかも
ポットも安い
しかしソンフォンは
ソ:隣のガスコンロもいいなー…
と悩みだす
確かに
ガスコンロがあれば
何でも出来る
ソ:これさえあれば、サムギョプサルもチゲもできるよ!
さすが韓国人 笑
ソンフォンは
オーストラリアに
ワーキングホリデイで
一年間
シェフとして
行っていたので
その血が騒いだらしい
しかし
いかんせん
でかいし
重い…
どうするか…
二人で
一時間考えたすえ
電子ポットに決定!!
決め手は
大きくないし
軽いから
電子ポットを買って
その後
そのモールで飯を食う
安くて美味かった
そこで
ソンフォンと
韓国について
話す
俺は
韓国には二回行っているし
テホもいたから
それなりに
韓国に詳しい
それで
その話をしていると
ソ:韓国に生まれたことは満足しているけど兵役だけは嫌いだ
兵役
今まさにテホが行っている
ソ:兵役は二年間人生を失っているのと一緒だよ。いい思いでもあるけどほとんどがいやな思い出だ
ソンフォンは二十代最初の二年間を失っている
二年間を失う…
兵役の無い
日本に生まれた俺には
少しわからない
けど
テホっていう
大事な友達とすごせる
大事な二年間を
韓国の兵役に奪われたのも事実(あいつは自ら行ったけど…笑)
兵役
ソンフォンは言う
そんなもんは必要ない
ソ:今はロケットだけで人は闘わないじゃないか
確かに
もうそんな時代になってしまったな
ボタン一つで地球が
なくなっちゃうのか…
恐ろしい
今日は夜行バスで
ハノイへ
またもフエを散策
しかし
あいにく今日は雨
行くとろも限られてしまう…
ちょっと
歩いていたら
がんがん
雨が降ってきた
こりゃいかん
すぐさま
近くのモールに退散
そこに
あった
スーパーマーケットを見ていると
電子ポットがおいてあった
そこで
ソンフォンに
一つ提案
俺:これ一個買ったら飯代浮くんじゃない?
ソ:!?おおそれいいアイディアだよ!
予想以上の反応 笑
しかも
ポットも安い
しかしソンフォンは
ソ:隣のガスコンロもいいなー…
と悩みだす
確かに
ガスコンロがあれば
何でも出来る
ソ:これさえあれば、サムギョプサルもチゲもできるよ!
さすが韓国人 笑
ソンフォンは
オーストラリアに
ワーキングホリデイで
一年間
シェフとして
行っていたので
その血が騒いだらしい
しかし
いかんせん
でかいし
重い…
どうするか…
二人で
一時間考えたすえ
電子ポットに決定!!
決め手は
大きくないし
軽いから
電子ポットを買って
その後
そのモールで飯を食う
安くて美味かった
そこで
ソンフォンと
韓国について
話す
俺は
韓国には二回行っているし
テホもいたから
それなりに
韓国に詳しい
それで
その話をしていると
ソ:韓国に生まれたことは満足しているけど兵役だけは嫌いだ
兵役
今まさにテホが行っている
ソ:兵役は二年間人生を失っているのと一緒だよ。いい思いでもあるけどほとんどがいやな思い出だ
ソンフォンは二十代最初の二年間を失っている
二年間を失う…
兵役の無い
日本に生まれた俺には
少しわからない
けど
テホっていう
大事な友達とすごせる
大事な二年間を
韓国の兵役に奪われたのも事実(あいつは自ら行ったけど…笑)
兵役
ソンフォンは言う
そんなもんは必要ない
ソ:今はロケットだけで人は闘わないじゃないか
確かに
もうそんな時代になってしまったな
ボタン一つで地球が
なくなっちゃうのか…
恐ろしい
今日は夜行バスで
ハノイへ
2010年3月28日日曜日
27日目 ベトナム タイガー
今日は
バスで四時間かけて
フエまで
フエでも
俺らは
ぶらりと
歩き
郊外に
そこには路上で
コーヒーを
売っている所があった
ベトナムでは
屋台で
コーヒーが売っている
そこでは
コーヒーと
コンデンスミルクをまぜた
甘甘なコーヒー
そこのおばちゃんに
やたら
シンチャオ!(こんにちわ)
といっていたら
いっぱいベトナム語を
教えてくれた
だけど
英語全然
しゃべれないから
意味は全くわからなかったけど
とっても優しいおばちゃんだった
カメラを向けたら
とっても
恥ずかしがるのがかわいかった
韓国人と
旅をしてて
恒例となったのが
あたらしい
ビールに挑戦
ということだった
いままで
二人で飲んだ
ベトナムビールが
マジで不味い
今日は
タイガーというビールに
挑戦しようということになった
この
タイガーは
東南アジアどこの国に
いっても
あるという
品物だったので
少しは信頼して
ぐびっ
ん?
まずっ!!
ソンフォンも
全く同じ
リアクション
今までで一番まずかった
フエの
街は
美しい
ライトアップされた橋を渡りながら
ソンフォンが一言
「Beautiful Blidge,Good Liver,F××××n Tiger」
Very Nice
26日目 ベトナム あ、この感じ
バスがホイアンに到着
さすがにつかれた
とりあえず
宿を探すことに
しかし
ホイアンのやどは高い
一人で泊まるには
少々値段が張ると
思っていた
うーん
仕方が無い
と
思っていた矢先に
ある人物に出会った
彼は
ホーチミンで
一日だけ
宿が
同じだった
韓国人
名前は
パク ソンフォン
話しかけ
ルームシェアしないかというと
快く
オーケーしてくれた
その後
ホイアンの町を
二人で
ぐるぐる
自転車を借りて
まわることに
しかし
ホイアンのまちといっても
彼はすぐに
道をはずれ
郊外に行く
でもそれは
普通の人の
生活が見れて
とっても
楽しかった
次に
彼は
地図を見て
こっち行こう
と行って
行くと
同じところに戻ってくる
次は逆の道行こうとといって
適当に行くと
また戻ってくる
その後
ここに行こうといって
地図の行き場所を言われ
付いてきな
と言われついていいって
でも行く道の感じだと
戻るな…
と思いつつ
黙っていたら
案の定
戻ってきた 笑
だけど
ごめんごめん
とくったくなく
謝るのが
憎めなかった
あれ
なんか感じたことあるわ
なんか
なつかしい
あ
この感じ
1年前にいた
誰かさんといっしょだ
とてつもない
懐かしさに負われ
この韓国人と
ラオスまで旅することになりそうです
その後
二人でビールを飲みながら
ホイアンの夜町を歩きました
ホイアンの
夜は
とても
夏祭りのようで
気持ちのいい風が
通り抜けていました
ベトナム人に教えてもらった
面白ワード
「No Honda,No Lady」
さすがにつかれた
とりあえず
宿を探すことに
しかし
ホイアンのやどは高い
一人で泊まるには
少々値段が張ると
思っていた
うーん
仕方が無い
と
思っていた矢先に
ある人物に出会った
彼は
ホーチミンで
一日だけ
宿が
同じだった
韓国人
名前は
パク ソンフォン
話しかけ
ルームシェアしないかというと
快く
オーケーしてくれた
その後
ホイアンの町を
二人で
ぐるぐる
自転車を借りて
まわることに
しかし
ホイアンのまちといっても
彼はすぐに
道をはずれ
郊外に行く
でもそれは
普通の人の
生活が見れて
とっても
楽しかった
次に
彼は
地図を見て
こっち行こう
と行って
行くと
同じところに戻ってくる
次は逆の道行こうとといって
適当に行くと
また戻ってくる
その後
ここに行こうといって
地図の行き場所を言われ
付いてきな
と言われついていいって
でも行く道の感じだと
戻るな…
と思いつつ
黙っていたら
案の定
戻ってきた 笑
だけど
ごめんごめん
とくったくなく
謝るのが
憎めなかった
あれ
なんか感じたことあるわ
なんか
なつかしい
あ
この感じ
1年前にいた
誰かさんといっしょだ
とてつもない
懐かしさに負われ
この韓国人と
ラオスまで旅することになりそうです
その後
二人でビールを飲みながら
ホイアンの夜町を歩きました
ホイアンの
夜は
とても
夏祭りのようで
気持ちのいい風が
通り抜けていました
ベトナム人に教えてもらった
面白ワード
「No Honda,No Lady」
25日目 ベトナム 移動
今日で
ホーチミンは最後
何だかんだ言って
楽しかった
特に
宿のおじさん
ありがとう
毎晩一緒にテレビ見て
楽しかったよ
そしてここから
二十四時間かけて
ホイアンまで
移動してみて
わかったけど
まだまだ
やっぱり
発展途上のところはあるんだと感じた
ホーチミンは
栄えていたけれど
一時間も
走れば
荒野が広がり
畑
田んぼ
川
何も無い土地が
たくさんある
車窓から眺める景色が
どことなーく
懐かしく
どこトナーく
寂しい
ホーチミンは最後
何だかんだ言って
楽しかった
特に
宿のおじさん
ありがとう
毎晩一緒にテレビ見て
楽しかったよ
そしてここから
二十四時間かけて
ホイアンまで
移動してみて
わかったけど
まだまだ
やっぱり
発展途上のところはあるんだと感じた
ホーチミンは
栄えていたけれど
一時間も
走れば
荒野が広がり
畑
田んぼ
川
何も無い土地が
たくさんある
車窓から眺める景色が
どことなーく
懐かしく
どこトナーく
寂しい
24日目 ベトナム 体調不良
とうとうなってしまった
体調不良
昔から
俺は見た目と反して
体が弱い
何がいけなかったのか
おなかを壊し
頭が痛い
まぁ
排気ガスのせいにでも
しておこう
今日も
シュンさんと
約束して
ホーチミンを回ることに
しかし
俺の
ストマックは
かなり
バッドな
状態である
午前中だけで
多分五回は
行っただろう
俺の
体調不良を考慮して
シュンさんが
タクシー使うと
行ってくらたが
節約のため
歩くことに
しかし
二人とも
道を間違え
体力は
限界に近づき
バスに乗ることに
取り合えず乗ってみたら
全く違うところに
まずい…
とおもったけど
車掌さんが
次に行くところをすぐに教えてくれて
のぼりと
くだりを
間違えていたらしい
そして
なんとか
帰ってくることが出来た
そして
今日
シュンさんは
日本に帰るということで
ここで
お別れ
出会いもあれば
別れもある
これから
どれぐらい
するんだろうか?
楽しみな
反面
チョイ
さみし
23日目 ベトナム 再開
俺の得意の
段取りの悪さで
一泊しかする予定の無かった
ホーチミンに
長いこといることに
正直
ホーチミンは
昨日で見るところ
終わった 笑
今日はどうしよっかなー
なんて
思っていると
「あれ?もうしかして」
って話しかけてくれた人が
その人は
実は
カンボジアで宿が一緒だった
シュンさん
東京の人
シュンさんは
カンボジアから
ホーチミンに
入って
俺は
カンボジアから
インドネシア
そこから
ホーチミンに
入ったわけですが
いやー
なんと
偶然
また出会えたわけです
そこから
俺が
インドネシアに行った
後の
シュンさんの話を聞いて
そこから
ホーチミンを
ぶらぶら
すると
シュンさんが
「あそこの公園がやばい!」
というので行ってみたら
本当にやばい 笑
夕方ぐらいになると
やたら人が集まってくる
そして
なぜか備えつきの
シェイプアップ器具で
シェイプアップ!!
主に
中年の姿が目に付く
そして
若者は
主に
足のバトミントン(名前はわからない)
セパタクロー(足版バレー)
で遊んでいる
そして
一番すごかったのが
エクササイズ
急に
乗りのいい音楽がかかったと思ったら
どこからともなく
人が
わらわら
すると
全員でエクササイズ!
年齢層は
40~80ぐらい
80ぐらいのおばあちゃんは
正直ワンテンポ
いや50テンポぐらい遅れてる
それでも
エクササイズは続き
約一時間ぐらいで終了する
そんな公園で
見てて
時間を忘れるぐらい
楽しかった
ホーチミン
ちょっと
あわないなーなんて
思っていたけど
ちょっと
好きになった
段取りの悪さで
一泊しかする予定の無かった
ホーチミンに
長いこといることに
正直
ホーチミンは
昨日で見るところ
終わった 笑
今日はどうしよっかなー
なんて
思っていると
「あれ?もうしかして」
って話しかけてくれた人が
その人は
実は
カンボジアで宿が一緒だった
シュンさん
東京の人
シュンさんは
カンボジアから
ホーチミンに
入って
俺は
カンボジアから
インドネシア
そこから
ホーチミンに
入ったわけですが
いやー
なんと
偶然
また出会えたわけです
そこから
俺が
インドネシアに行った
後の
シュンさんの話を聞いて
そこから
ホーチミンを
ぶらぶら
すると
シュンさんが
「あそこの公園がやばい!」
というので行ってみたら
本当にやばい 笑
夕方ぐらいになると
やたら人が集まってくる
そして
なぜか備えつきの
シェイプアップ器具で
シェイプアップ!!
主に
中年の姿が目に付く
そして
若者は
主に
足のバトミントン(名前はわからない)
セパタクロー(足版バレー)
で遊んでいる
そして
一番すごかったのが
エクササイズ
急に
乗りのいい音楽がかかったと思ったら
どこからともなく
人が
わらわら
すると
全員でエクササイズ!
年齢層は
40~80ぐらい
80ぐらいのおばあちゃんは
正直ワンテンポ
いや50テンポぐらい遅れてる
それでも
エクササイズは続き
約一時間ぐらいで終了する
そんな公園で
見てて
時間を忘れるぐらい
楽しかった
ホーチミン
ちょっと
あわないなーなんて
思っていたけど
ちょっと
好きになった
22日目 ベトナム 宿とバイクと戦争と
昨日から
泊まっている
宿
これまた
いい宿
何がそんなにいいかって
まず
おじさんをはじめとする
その家族で
経営をしている
その家族が
もれなく優しい
マジで優しい
さらにこの宿には
犬が
四匹!!
もう一度言いますよ
四匹!!
設備は
琉大の寮と
同じぐらいだけど
ぼくは即決しました
その後
ホーチミン
をぐるぐる回るために
バイクタクシーにのって
ぐーるぐる
その中でも
俺が一番行きたかったのは
「ベトナム戦争証跡博物館」
これ津堅島に同じのあった
今度探してみてください
ベトナム戦争で
何が
起こったか
それを
見に行こうと
一度入ると
そんなに大きくない
館内に
埋め尽くされた
展示の数々
その中でも
写真は
視覚がっちりと訴えてくる
ジャングルの中を進行する米軍
逃げ惑う市民
遺体をごみのように扱う兵士
枯葉剤で障害を持った子どもたち
ホルマリン漬けにされた新生児
映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」
で有名な沢田恭一をはじめとする
三人の日本人カメラマンの写真たち
戦争はいったい何が起こっていて
何が本当で
何が嘘か
俺は全く判断できない
だけど
写真は
目の前の起きたもの
そのまま映像で焼き付ける
事実
これは
変わらない
この戦争が起きた後に
ホーチミンの発展は
本当にすごいと思う
子どもたちも
世界平和望んでいる
ただ
急激な発展に伴う
惨劇も
しっかり子どもたちは
わかっているようです
その後
バイクタクシーに乗って
帰ろうとすると
運:じゃあタクシーは二万ドンね
俺:二万!?
二万ドンといえば
日本円で言うと
一万円
ちょっとだけの移動なのに
なんってこったい
今まで
インドネシアにいたせいで
頭が
のほほんとしちゃって
バイクに乗る前に
値段交渉しそこねてた…
忘れてた
そう
ここは
東南アジア
俺:(やっちまった!)
心の中でそう叫びながら
どうにか切り抜けようと
俺:今はそんなにもってないからとりあえずホテルに帰ったらあるから一回ホテルに帰ろう
といって
持ってるお金を
運転手に渡し
宿に戻る
そして
宿のおじさんとおばさんに相談
すると
お:払わなくていいここにいなさい
といさせてくれ
すると
運転手が入ってきた
すると
烈火のごとく
切れだす
おじさんとおばさん
それにひるんだ
運転手も
何か言い訳をして
帰っていった
その後に
おばさんに
よばれ
説教してくれた
「まず何事も値段をきいてから」
「ああいう悪質なドライバーがいるんだから気をつけなさい」
「あんたは日本人だから目立つのよ」
日本に出る前に
散々言われた事を
まさか
ベトナムでも言われるなんて
自分が情けなくなった
反面
しかってくれる人のありがたさを
身にしました
その後
おばちゃんは
熱いお茶をくれて
おじさんは
一緒にテレビを見て
いっぱい話をしてました
この家族がいる限り
多分
一生
ベトナム人を
嫌いにはなれないな
泊まっている
宿
これまた
いい宿
何がそんなにいいかって
まず
おじさんをはじめとする
その家族で
経営をしている
その家族が
もれなく優しい
マジで優しい
さらにこの宿には
犬が
四匹!!
もう一度言いますよ
四匹!!
設備は
琉大の寮と
同じぐらいだけど
ぼくは即決しました
その後
ホーチミン
をぐるぐる回るために
バイクタクシーにのって
ぐーるぐる
その中でも
俺が一番行きたかったのは
「ベトナム戦争証跡博物館」
これ津堅島に同じのあった
今度探してみてください
ベトナム戦争で
何が
起こったか
それを
見に行こうと
一度入ると
そんなに大きくない
館内に
埋め尽くされた
展示の数々
その中でも
写真は
視覚がっちりと訴えてくる
ジャングルの中を進行する米軍
逃げ惑う市民
遺体をごみのように扱う兵士
枯葉剤で障害を持った子どもたち
ホルマリン漬けにされた新生児
映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」
で有名な沢田恭一をはじめとする
三人の日本人カメラマンの写真たち
戦争はいったい何が起こっていて
何が本当で
何が嘘か
俺は全く判断できない
だけど
写真は
目の前の起きたもの
そのまま映像で焼き付ける
事実
これは
変わらない
この戦争が起きた後に
ホーチミンの発展は
本当にすごいと思う
子どもたちも
世界平和望んでいる
ただ
急激な発展に伴う
惨劇も
しっかり子どもたちは
わかっているようです
その後
バイクタクシーに乗って
帰ろうとすると
運:じゃあタクシーは二万ドンね
俺:二万!?
二万ドンといえば
日本円で言うと
一万円
ちょっとだけの移動なのに
なんってこったい
今まで
インドネシアにいたせいで
頭が
のほほんとしちゃって
バイクに乗る前に
値段交渉しそこねてた…
忘れてた
そう
ここは
東南アジア
俺:(やっちまった!)
心の中でそう叫びながら
どうにか切り抜けようと
俺:今はそんなにもってないからとりあえずホテルに帰ったらあるから一回ホテルに帰ろう
といって
持ってるお金を
運転手に渡し
宿に戻る
そして
宿のおじさんとおばさんに相談
すると
お:払わなくていいここにいなさい
といさせてくれ
すると
運転手が入ってきた
すると
烈火のごとく
切れだす
おじさんとおばさん
それにひるんだ
運転手も
何か言い訳をして
帰っていった
その後に
おばさんに
よばれ
説教してくれた
「まず何事も値段をきいてから」
「ああいう悪質なドライバーがいるんだから気をつけなさい」
「あんたは日本人だから目立つのよ」
日本に出る前に
散々言われた事を
まさか
ベトナムでも言われるなんて
自分が情けなくなった
反面
しかってくれる人のありがたさを
身にしました
その後
おばちゃんは
熱いお茶をくれて
おじさんは
一緒にテレビを見て
いっぱい話をしてました
この家族がいる限り
多分
一生
ベトナム人を
嫌いにはなれないな
2010年3月21日日曜日
21日目 インドネシア→ベトナム ぎゅうぎゅう詰め
昨日の夜から
今日の朝にかけて
夜行バスでの移動
チケットを買うと
出発はPM7:00
俺は
車内で
ずっと待っていた
そして
PM7:00
…
出発しない…
どうやら
こっちのバスは
座席が
いっぱいにならないと
出発しないらしい
そして
PM8:00
観念したのか
ついに出発
しかし
また
すぐに
わき道に
止まる
そして
なぜか
ぞくぞくと
人が乗ってくる
しかし
まだ
埋まる様子はない
すると
出発
やっとか…
だがしかし
また
止まる!!
また
ぞろぞろ
人が乗る
PM10:00
とうとう出発!!
バス内は
ぎゅうぎゅう詰め
エアコンがなければ
死んでいたでしょう
隣と人と
密着状態
というか
肩組みしてる 笑
しかも
荷物のおおい
俺は
足は
もう
逆向いちゃってます
これで
10時間
……
大丈夫か?
と
思いきや
私
ばっちり
七時間睡眠 笑
ちっちゃいころから
乗り物に乗ると
寝ちゃうという
癖は
未だに
継続中でした
そして
AM8:00
バスターミナル到着
そこから
空港に行き
今
ベトナム行きの飛行機
待ってます
ベトナムは
どんなところかな
わくわく
どきどき
20日目 インドネシア 面影
今日は朝からのんびり
完全に
ソロの町の
のんびりさに
やられたみたいだ
近くの食堂で
飯頼むと
また違うのが
出てきた
もう
うまけりゃ
何でもいいや
今日で
インドネシアも最後
明日には
ベトナムに旅立ちます
チラッと見た
前の人の
パソコンに
その人のどアップが
壁紙だったので
見てはいけないものを
見たみたいです
インドネシアは
気候がどことなく
沖縄に似ている(ここに限らず東南アジアは似ているか)
また
ものすごい
海がきれいだった
そして
高い山も
いくつか
ある
旭川の
盆地に生まれ
沖縄の
大学に通っている
俺には
いいとこ取りのような国だった
異国の地で
故郷の
面影を感じるのは
何か
不思議な気持ちになりますし
何ともいえない気持ちになります
ホームシックまでは
いきませんが
やっぱり故郷が好きな自分と
次にいく新たな地への
期待感
と
ちょっぴりの
不安
それが
最高に
楽しいです
これから
夜行バスに乗り
ジャカルタまで
行きます
所要時間
約12時間
おなか壊してたら
終わりです
19日目 インドネシア ローカル交通
今日は
近くに
寺院があると聞いて
そこに向かう
エアコンもないような
ローカルバスに乗って
そこから
一時間
到着すると
ものすごい雨
これが
東南アジア名物
スコールか
その
スコールの洗礼を浴び
仕方なしに
トンボ返り
だけど
その
往復のバスは
すごく楽しかった
インドネシアのバスは
降りたいところからおりて
乗りたいところからのる
前と後ろに係員がいて
その人に
半ば走りながら
引っ張ってもらって
飛び乗る感じ
乗ってくる人は
学校帰りの小学生
買い物帰りの主婦
よぼよぼのばぁちゃん
それに
窓からの景色は
棚田になっている
農家という
ものすごい素朴な風景に
心安らぐ時間でした
それで
往復130円
俺の実家から
高校までは
片道310円
安い
ローカル線に乗るのは
楽しいと感じた
その後は
昨日行ったモールに行って
日本食屋があったので
カツ丼を食ってみた
そのカツはチキンだったんので
正確には
チキン親子カツ丼だ
インドネシアは
イスラム教徒が多いから
基本豚肉はない
だから
トンカツはないのですね
食べてそうで
食べたことがなかったかも
チキン親子カツ丼
近くに
寺院があると聞いて
そこに向かう
エアコンもないような
ローカルバスに乗って
そこから
一時間
到着すると
ものすごい雨
これが
東南アジア名物
スコールか
その
スコールの洗礼を浴び
仕方なしに
トンボ返り
だけど
その
往復のバスは
すごく楽しかった
インドネシアのバスは
降りたいところからおりて
乗りたいところからのる
前と後ろに係員がいて
その人に
半ば走りながら
引っ張ってもらって
飛び乗る感じ
乗ってくる人は
学校帰りの小学生
買い物帰りの主婦
よぼよぼのばぁちゃん
それに
窓からの景色は
棚田になっている
農家という
ものすごい素朴な風景に
心安らぐ時間でした
それで
往復130円
俺の実家から
高校までは
片道310円
安い
ローカル線に乗るのは
楽しいと感じた
その後は
昨日行ったモールに行って
日本食屋があったので
カツ丼を食ってみた
そのカツはチキンだったんので
正確には
チキン親子カツ丼だ
インドネシアは
イスラム教徒が多いから
基本豚肉はない
だから
トンカツはないのですね
食べてそうで
食べたことがなかったかも
チキン親子カツ丼
18日目 インドネシア のんびり休憩
朝
バスターミナルを出発
そのまま
宿を探して
一軒目で
安かったので
泊まった
そこから
今までの長距離の
疲れがどっしり来て
そのまま
爆睡
起きると
お昼ごはん時だったので
近くを
ぶらぶら
食堂があったので
そこで
飯食う
注文したのとなんか
違うのつくってたけど
まぁいいや
と思い
食ったら
うまかった
あと
近くに
モールみたいなのが
あったので
そこで
日用品買って
後は
のんびり
町を
ぶらぶら
なんか
ソロっていう
町は
のんびりしてる
17日目 インドネシア イジェン火口湖
AM4:00
朝起きて
目覚ましに
イジェンのコーヒーを
こっちの
コーヒーは
粉薬みたい
そして
ついに
火口湖に出発
それまでの道のりは
やたら険しい
びっくりするぐらいの
オフロード
もともとは
舗装してあったのだろうけど
今は
コンクリートが
めちゃくちゃになって
逆に走りづらくなっている
ワゴンは
常に
はね続けている状態
乗っている
俺は
ロックフラワーのように
くねくね
動いている
そうすること
二時間
イジェンの入り口に
到着
ここから
山を登っていく
最初は
軽快に登っていくのだが
…
…
…
つらい…
なんだ
この坂道!
サンタプレゼントパークのほうが
全然ゆるいわ!!
そんな山を登っていると
地元の人と
たくさん
すれちがう
ここ
イジェンでは
硫黄が取れるので
ここに住んでいる人たちは
それで
生計を建てているらしい
硫黄の
総量
200Kg
それを毎日
2往復
するらしい
ただ歩いているだけでも
そうとうきついのに
少し持たせてもらったが
相当の重さだった
地元とのひとの
たくましさをしった
そんな人たちと
すれ違いながら
登り続けること
約1時間
やっとこさ
火口湖に到着
硫黄をかためる為の
煙が
立ち込める中
その中に
エメラルドグリーンの
湖が
ガイドブックでは
コバルトブルーって書いてあったけど
そんなの
関係なしってぐらいの光景
もっと近くにいけるということなので
クレーターまでおり
火口湖に手を突っ込み
働いている人達を
じっくり観察してきて帰ってきた
とっても空が近く感じた
たくましい人たちと
神秘の湖
対照的なものであるけれど
すばらしい
調和だった
そこから
山を降り
他の人たちは
フェリーでバリ島へ
俺はドライバーと
ブロモに戻り
ソロへ
バス移動
またそう移動時間
約16時間
しかも
また寝過ごして
変なところで
降ろされた
少し歩いて
なんとか
バスターミナル到着
AM0:00
そのまま
朝まで
バスターミナルで待機
日が出たら
宿探そう
2010年3月20日土曜日
16日目 インドネシア 神の山
今日は
朝早くから
ブロモ山に登る
まずは
ビューポイントと呼ばれる
隣の山に
そこからの
朝日が最高らしい
しかし
本日は
ものすごい霧
朝日を拝むことが出来ず
残念
次は
とうとう
ブロモ山に
登る
ブロモ山には
階段がついていて
それを登っていくのだが
それが
きいつきつい
何段あるかは
わからんが
息を切らしながら
登った
途中で
断念している
ばぁさんがいた
それを横目に
登りきると
まだ
あたり
一面
霧だらけ
まるで
雲の中にいるようだ
ここもか…
そんな
残念な気持ちと
裏腹に
どんどん
霧が晴れてきた!!
遠くに見える
山々と
未だに活動を続ける
ブロモ山が吹き上げる
噴煙
その中にいる自分は
天空にいる気分
神の山として
崇められるのも
わかる気がした
宿に帰ってきて
次に目指すは
イジェン火口湖
ワゴンに乗り込み
ロシア人の女性と
スイス人の兄妹と
四人で出発
結構な
長距離移動だ
途中
昼飯休憩があった
そこで見た
海が
とってもきれいだった
ちょっぴり
沖縄を
思い出したりもした
そしてそこからは
がんがん
飛ばすワゴン
こっちの運転手は
前から車が来ようが
トラックが三台並んでいようが
がんがん
追い抜きます
そうやって走ること
10時間
目的地
イジェンへ到着
今日は
コーヒー農家で
一泊
明日の
朝
火口湖まで
登る
楽しみ
朝早くから
ブロモ山に登る
まずは
ビューポイントと呼ばれる
隣の山に
そこからの
朝日が最高らしい
しかし
本日は
ものすごい霧
朝日を拝むことが出来ず
残念
次は
とうとう
ブロモ山に
登る
ブロモ山には
階段がついていて
それを登っていくのだが
それが
きいつきつい
何段あるかは
わからんが
息を切らしながら
登った
途中で
断念している
ばぁさんがいた
それを横目に
登りきると
まだ
あたり
一面
霧だらけ
まるで
雲の中にいるようだ
ここもか…
そんな
残念な気持ちと
裏腹に
どんどん
霧が晴れてきた!!
遠くに見える
山々と
未だに活動を続ける
ブロモ山が吹き上げる
噴煙
その中にいる自分は
天空にいる気分
神の山として
崇められるのも
わかる気がした
宿に帰ってきて
次に目指すは
イジェン火口湖
ワゴンに乗り込み
ロシア人の女性と
スイス人の兄妹と
四人で出発
結構な
長距離移動だ
途中
昼飯休憩があった
そこで見た
海が
とってもきれいだった
ちょっぴり
沖縄を
思い出したりもした
そしてそこからは
がんがん
飛ばすワゴン
こっちの運転手は
前から車が来ようが
トラックが三台並んでいようが
がんがん
追い抜きます
そうやって走ること
10時間
目的地
イジェンへ到着
今日は
コーヒー農家で
一泊
明日の
朝
火口湖まで
登る
楽しみ
15日目 インドネシア お別れと神の山へ
今日で
マチャとマリとは
お別れ
3馬鹿による
東南アジア周遊はここまで
二人とも
楽しかったよ
ありがと
二人と別れた後
俺は
ジャワ島の
最東端にある
山
イジェンを目指すことに
その手前には
神の山と呼ばれる
ブロモ山があるので
まずは
そこに行くことに
バスでの移動は
まず
スラバヤというところまで
電車で
五時間
そこから
バスで
七時間
バスに乗っている間に
俺は
長い眠りに…
そして
パッと
起きると
バスの車掌さんと目が合った(インドネシアのバスには車掌さんがいる)
車:どこにいくの?
俺:ブロモまで
車:!!??
俺:????
車:なんだって!早く降りなさい!
そういわれ
真っ暗な道に降ろされた
どうやら
寝過ごしていたらしい
すると俺の周りにはわらわらと
人だかり
人:どこいくの?
俺:このホテルまで行きたいんですけど…(ガイドブックを見せる)
人:わかるよ!俺のバイクタクシーに乗りなよ!
そういわれ
バイクの後ろにまたがり
目的地へ
バイクは
山道をぐんぐん飛ばす
後ろに乗っている俺は
何度か振り落とされそうになる
運転手は
そんなこと
気にする様子は無く
時速80キロメートルで
ぐにゃぐにゃ山道を
飛ばしていく
そして走ること
約30分
ブロモ山の手前の村
カディサリ村に到着
かなりの長時間の移動に
疲れが見え始めていたが
明日は
ブロモ山の朝日を
見に行くために
AM4:00起床
頑張ろう
マチャとマリとは
お別れ
3馬鹿による
東南アジア周遊はここまで
二人とも
楽しかったよ
ありがと
二人と別れた後
俺は
ジャワ島の
最東端にある
山
イジェンを目指すことに
その手前には
神の山と呼ばれる
ブロモ山があるので
まずは
そこに行くことに
バスでの移動は
まず
スラバヤというところまで
電車で
五時間
そこから
バスで
七時間
バスに乗っている間に
俺は
長い眠りに…
そして
パッと
起きると
バスの車掌さんと目が合った(インドネシアのバスには車掌さんがいる)
車:どこにいくの?
俺:ブロモまで
車:!!??
俺:????
車:なんだって!早く降りなさい!
そういわれ
真っ暗な道に降ろされた
どうやら
寝過ごしていたらしい
すると俺の周りにはわらわらと
人だかり
人:どこいくの?
俺:このホテルまで行きたいんですけど…(ガイドブックを見せる)
人:わかるよ!俺のバイクタクシーに乗りなよ!
そういわれ
バイクの後ろにまたがり
目的地へ
バイクは
山道をぐんぐん飛ばす
後ろに乗っている俺は
何度か振り落とされそうになる
運転手は
そんなこと
気にする様子は無く
時速80キロメートルで
ぐにゃぐにゃ山道を
飛ばしていく
そして走ること
約30分
ブロモ山の手前の村
カディサリ村に到着
かなりの長時間の移動に
疲れが見え始めていたが
明日は
ブロモ山の朝日を
見に行くために
AM4:00起床
頑張ろう
14日目 インドネシア ボロブドゥール
朝
ジョグジャカルタに着き
宿へ
そこから
今日は
世界最大の寺院ボロブドゥールヘ
ここにも
レリーフがたくさんあり
それは
ブッダが生まれて
みんなに
仏教を広めていくところまでが
描かれています
楽しいのは
ブッダ 学校へ行く
というレリーフや
ブッダ 結婚するが出家を決意する
ブッダ 美女で悪魔の誘惑にまけず悟り開く
などがあります
わかりやすい
レリーフが
たくさんありました
頂上に上ると
いい景色が広がっていました
三角錐の中には
大仏が入っており
それを触ると
幸運になるということで
みんな
穴から手を突っ込んでます
楽しかったボロブドゥールを後にして
晩飯を食いに
行ったところは
地元の人しか
来なさそうなところ
英語でしゃべっても
全然通じない
すると
どんどん人が
集まってきて
何とか言葉が
通じる人が出てきて
なんとか注文できた
その後も
全然わからない言葉で
話しかけたり
かけらたり
全然会話が成り立たなかったけど
何か
すごくたのしかった
インドネシアの人の
暖かさに
今日も
また
触れました
ジョグジャカルタに着き
宿へ
そこから
今日は
世界最大の寺院ボロブドゥールヘ
ここにも
レリーフがたくさんあり
それは
ブッダが生まれて
みんなに
仏教を広めていくところまでが
描かれています
楽しいのは
ブッダ 学校へ行く
というレリーフや
ブッダ 結婚するが出家を決意する
ブッダ 美女で悪魔の誘惑にまけず悟り開く
などがあります
わかりやすい
レリーフが
たくさんありました
頂上に上ると
いい景色が広がっていました
三角錐の中には
大仏が入っており
それを触ると
幸運になるということで
みんな
穴から手を突っ込んでます
楽しかったボロブドゥールを後にして
晩飯を食いに
行ったところは
地元の人しか
来なさそうなところ
英語でしゃべっても
全然通じない
すると
どんどん人が
集まってきて
何とか言葉が
通じる人が出てきて
なんとか注文できた
その後も
全然わからない言葉で
話しかけたり
かけらたり
全然会話が成り立たなかったけど
何か
すごくたのしかった
インドネシアの人の
暖かさに
今日も
また
触れました
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