行った場所


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2010年3月31日水曜日

30日目 ベトナム 竜が吐き出したもの

今日は

早起きして

世界遺産である

ハロン湾に!

ここでは伝説があり

昔竜が降り立ち

外敵からここを守るために

吐き出した宝玉が

現在奇岩になって残っているということ

そこに

船で

ゆっくりとクルーズ

いい風が吹き

少し曇っていたけど

とってもいい景色

沖にある

この世のものとは思えない

サイズのでかい山が聳え立つ

なぜここにあるのか

どうしてここにできたのか

大学で

自然地理学実習でタッチューを計っていた

俺には不思議でたまりませんでした

竜が吐き出した伝説

そういわれるのも

納得の

すばらしい眺め

曇っていても十分素敵

むしろちょっと曇っているときの

太陽は好き

今もこのハロン湾には

100世帯が住んでいるらしい

ちっちゃい子どもも

大人顔負けに

ボートを漕いでいました

ハロン湾から帰ってきた後

たまたま出会った

日本人の方と屋台ビールを飲むことに

昔一年間旅をしたらしい

いろんな人に出会いながら

色んなはなしをする

旅の醍醐味を

満喫中

そんな

旅も一ヶ月経過

早いような

おそいような…

29日目 ベトナム ポッキング



ハノイに到着

そこから宿探し

結構ぐるぐる回ったが

一時間後には見つけることが出来た

そこで初

クッキング

昨日かった

電子ポッドを使って

料理

二人でポッドを使った

クッキングなので

ポッキングと名づけました

まずは

インスタントラーメンから!笑

まずは

お湯を沸かします

そこから

沸騰したら

五種類のインスタントラーメンを入れます

後は待つだけ

出来上がり!

味はいろんな味が混ざって

おいしかったです!
そこでハノイのことを調べて

ちょっと観光

屋台でビールがおいてました

ビアガーデンみたいな感じかな

そこで

まずは

一杯

夜になってから

ふと思いついた

「ポットを使ってしゃぶしゃぶができるんじゃないか…」

ソンフォンに聞いてみると

「ナイスアイディア!!」

料理好きの

ソンフォンは

しゃぶしゃぶを知っていた

そこで

二人で食材探しに

キャベツはすぐにゲットできた

豆腐もその後すぐにできた(一丁五円!)

しかし

肝心の肉が…

もうほとんど閉まってしまっていた

肉を捜し求めて

歩くこと

二時間

とうとう

見つけることができなかった…

しゃぶしゃぶは次回に持ち越しに…

28日目 ベトナム 失ったもの

今日は

またもフエを散策

しかし

あいにく今日は雨

行くとろも限られてしまう…

ちょっと

歩いていたら

がんがん

雨が降ってきた

こりゃいかん

すぐさま

近くのモールに退散

そこに

あった

スーパーマーケットを見ていると

電子ポットがおいてあった

そこで

ソンフォンに

一つ提案

俺:これ一個買ったら飯代浮くんじゃない?

ソ:!?おおそれいいアイディアだよ!

予想以上の反応 笑

しかも

ポットも安い

しかしソンフォンは

ソ:隣のガスコンロもいいなー…

と悩みだす

確かに

ガスコンロがあれば

何でも出来る

ソ:これさえあれば、サムギョプサルもチゲもできるよ!

さすが韓国人 笑

ソンフォンは

オーストラリアに

ワーキングホリデイで

一年間

シェフとして

行っていたので

その血が騒いだらしい

しかし

いかんせん

でかいし

重い…

どうするか…

二人で

一時間考えたすえ

電子ポットに決定!!

決め手は

大きくないし

軽いから

電子ポットを買って

その後

そのモールで飯を食う

安くて美味かった

そこで

ソンフォンと

韓国について

話す

俺は

韓国には二回行っているし

テホもいたから

それなりに

韓国に詳しい

それで

その話をしていると

ソ:韓国に生まれたことは満足しているけど兵役だけは嫌いだ

兵役

今まさにテホが行っている

ソ:兵役は二年間人生を失っているのと一緒だよ。いい思いでもあるけどほとんどがいやな思い出だ

ソンフォンは二十代最初の二年間を失っている

二年間を失う…

兵役の無い

日本に生まれた俺には

少しわからない

けど

テホっていう

大事な友達とすごせる

大事な二年間を

韓国の兵役に奪われたのも事実(あいつは自ら行ったけど…笑)


兵役

ソンフォンは言う

そんなもんは必要ない

ソ:今はロケットだけで人は闘わないじゃないか

確かに

もうそんな時代になってしまったな

ボタン一つで地球が

なくなっちゃうのか…

恐ろしい

今日は夜行バスで

ハノイへ

2010年3月28日日曜日

27日目 ベトナム タイガー




今日は

バスで四時間かけて

フエまで

フエでも

俺らは

ぶらりと

歩き

郊外に

そこには路上で

コーヒーを

売っている所があった

ベトナムでは

屋台で

コーヒーが売っている

そこでは

コーヒーと

コンデンスミルクをまぜた

甘甘なコーヒー

そこのおばちゃんに

やたら

シンチャオ!(こんにちわ)

といっていたら

いっぱいベトナム語を

教えてくれた

だけど

英語全然

しゃべれないから

意味は全くわからなかったけど

とっても優しいおばちゃんだった

カメラを向けたら

とっても

恥ずかしがるのがかわいかった

韓国人と

旅をしてて

恒例となったのが

あたらしい

ビールに挑戦

ということだった

いままで

二人で飲んだ

ベトナムビールが

マジで不味い

今日は

タイガーというビールに

挑戦しようということになった

この

タイガーは

東南アジアどこの国に

いっても

あるという

品物だったので

少しは信頼して

ぐびっ

ん?

まずっ!!

ソンフォンも

全く同じ

リアクション


今までで一番まずかった

フエの

街は

美しい

ライトアップされた橋を渡りながら

ソンフォンが一言

「Beautiful Blidge,Good Liver,F××××n Tiger」

Very Nice

26日目 ベトナム あ、この感じ

バスがホイアンに到着

さすがにつかれた

とりあえず

宿を探すことに

しかし

ホイアンのやどは高い

一人で泊まるには

少々値段が張ると

思っていた

うーん

仕方が無い



思っていた矢先に

ある人物に出会った

彼は

ホーチミンで

一日だけ

宿が

同じだった

韓国人

名前は

パク ソンフォン

話しかけ

ルームシェアしないかというと

快く

オーケーしてくれた

その後

ホイアンの町を

二人で

ぐるぐる

自転車を借りて

まわることに

しかし

ホイアンのまちといっても

彼はすぐに

道をはずれ

郊外に行く

でもそれは

普通の人の

生活が見れて

とっても

楽しかった

次に

彼は

地図を見て

こっち行こう

と行って

行くと

同じところに戻ってくる

次は逆の道行こうとといって

適当に行くと

また戻ってくる

その後

ここに行こうといって

地図の行き場所を言われ

付いてきな

と言われついていいって

でも行く道の感じだと

戻るな…

と思いつつ

黙っていたら

案の定

戻ってきた 笑

だけど

ごめんごめん

とくったくなく

謝るのが

憎めなかった

あれ

なんか感じたことあるわ

なんか

なつかしい



この感じ

1年前にいた

誰かさんといっしょだ

とてつもない

懐かしさに負われ

この韓国人と

ラオスまで旅することになりそうです

その後

二人でビールを飲みながら

ホイアンの夜町を歩きました

ホイアンの

夜は

とても

夏祭りのようで

気持ちのいい風が

通り抜けていました

ベトナム人に教えてもらった

面白ワード
「No Honda,No Lady」

25日目 ベトナム 移動

今日で

ホーチミンは最後

何だかんだ言って

楽しかった

特に

宿のおじさん

ありがとう

毎晩一緒にテレビ見て

楽しかったよ

そしてここから

二十四時間かけて

ホイアンまで

移動してみて

わかったけど

まだまだ

やっぱり

発展途上のところはあるんだと感じた

ホーチミンは

栄えていたけれど

一時間も

走れば

荒野が広がり



田んぼ



何も無い土地が

たくさんある

車窓から眺める景色が

どことなーく

懐かしく

どこトナーく

寂しい

24日目 ベトナム 体調不良


とうとうなってしまった

体調不良

昔から

俺は見た目と反して

体が弱い

何がいけなかったのか

おなかを壊し

頭が痛い

まぁ

排気ガスのせいにでも

しておこう

今日も

シュンさんと

約束して

ホーチミンを回ることに

しかし

俺の

ストマックは

かなり

バッドな

状態である

午前中だけで

多分五回は

行っただろう

俺の

体調不良を考慮して

シュンさんが

タクシー使うと

行ってくらたが

節約のため

歩くことに

しかし

二人とも

道を間違え

体力は

限界に近づき

バスに乗ることに

取り合えず乗ってみたら

全く違うところに

まずい…

とおもったけど

車掌さんが

次に行くところをすぐに教えてくれて

のぼりと

くだりを

間違えていたらしい

そして

なんとか

帰ってくることが出来た

そして

今日

シュンさんは

日本に帰るということで

ここで

お別れ

出会いもあれば

別れもある

これから

どれぐらい

するんだろうか?

楽しみな

反面

チョイ

さみし

23日目 ベトナム 再開

俺の得意の

段取りの悪さで

一泊しかする予定の無かった

ホーチミンに

長いこといることに

正直

ホーチミンは

昨日で見るところ

終わった 笑

今日はどうしよっかなー

なんて

思っていると

「あれ?もうしかして」

って話しかけてくれた人が

その人は

実は

カンボジアで宿が一緒だった

シュンさん

東京の人

シュンさんは

カンボジアから

ホーチミンに

入って

俺は

カンボジアから

インドネシア

そこから

ホーチミンに

入ったわけですが

いやー

なんと

偶然

また出会えたわけです

そこから

俺が

インドネシアに行った

後の

シュンさんの話を聞いて

そこから

ホーチミンを

ぶらぶら

すると

シュンさんが

「あそこの公園がやばい!」

というので行ってみたら

本当にやばい 笑

夕方ぐらいになると

やたら人が集まってくる

そして

なぜか備えつきの

シェイプアップ器具で

シェイプアップ!!

主に

中年の姿が目に付く

そして

若者は

主に

足のバトミントン(名前はわからない)

セパタクロー(足版バレー)

で遊んでいる

そして

一番すごかったのが

エクササイズ

急に

乗りのいい音楽がかかったと思ったら

どこからともなく

人が

わらわら

すると

全員でエクササイズ!

年齢層は

40~80ぐらい

80ぐらいのおばあちゃんは

正直ワンテンポ

いや50テンポぐらい遅れてる

それでも

エクササイズは続き

約一時間ぐらいで終了する

そんな公園で

見てて

時間を忘れるぐらい

楽しかった

ホーチミン

ちょっと

あわないなーなんて

思っていたけど

ちょっと

好きになった

22日目 ベトナム 宿とバイクと戦争と

昨日から

泊まっている

宿

これまた

いい宿

何がそんなにいいかって

まず

おじさんをはじめとする

その家族で

経営をしている

その家族が

もれなく優しい

マジで優しい

さらにこの宿には

犬が

四匹!!

もう一度言いますよ

四匹!!

設備は

琉大の寮と

同じぐらいだけど

ぼくは即決しました

その後

ホーチミン

をぐるぐる回るために

バイクタクシーにのって

ぐーるぐる

その中でも

俺が一番行きたかったのは

「ベトナム戦争証跡博物館」
 これ津堅島に同じのあった

今度探してみてください

ベトナム戦争で

何が

起こったか

それを

見に行こうと

一度入ると

そんなに大きくない

館内に

埋め尽くされた

展示の数々

その中でも

写真は

視覚がっちりと訴えてくる

ジャングルの中を進行する米軍

逃げ惑う市民

遺体をごみのように扱う兵士

枯葉剤で障害を持った子どもたち

ホルマリン漬けにされた新生児

映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」

で有名な沢田恭一をはじめとする

三人の日本人カメラマンの写真たち

戦争はいったい何が起こっていて

何が本当で

何が嘘か

俺は全く判断できない

だけど

写真は

目の前の起きたもの

そのまま映像で焼き付ける

事実

これは

変わらない

この戦争が起きた後に

ホーチミンの発展は

本当にすごいと思う

子どもたちも

世界平和望んでいる
ただ

急激な発展に伴う

惨劇も

しっかり子どもたちは

わかっているようです

その後

バイクタクシーに乗って

帰ろうとすると

運:じゃあタクシーは二万ドンね

俺:二万!?

二万ドンといえば

日本円で言うと

一万円

ちょっとだけの移動なのに

なんってこったい

今まで

インドネシアにいたせいで

頭が

のほほんとしちゃって

バイクに乗る前に

値段交渉しそこねてた…

忘れてた

そう

ここは

東南アジア

俺:(やっちまった!)

心の中でそう叫びながら

どうにか切り抜けようと

俺:今はそんなにもってないからとりあえずホテルに帰ったらあるから一回ホテルに帰ろう

といって

持ってるお金を

運転手に渡し

宿に戻る

そして

宿のおじさんとおばさんに相談

すると

お:払わなくていいここにいなさい

といさせてくれ

すると

運転手が入ってきた

すると

烈火のごとく

切れだす

おじさんとおばさん

それにひるんだ

運転手も

何か言い訳をして

帰っていった

その後に

おばさんに

よばれ

説教してくれた

「まず何事も値段をきいてから」

「ああいう悪質なドライバーがいるんだから気をつけなさい」

「あんたは日本人だから目立つのよ」

日本に出る前に

散々言われた事を

まさか

ベトナムでも言われるなんて

自分が情けなくなった

反面

しかってくれる人のありがたさを

身にしました

その後

おばちゃんは

熱いお茶をくれて

おじさんは

一緒にテレビを見て

いっぱい話をしてました

この家族がいる限り

多分

一生

ベトナム人を

嫌いにはなれないな

2010年3月21日日曜日

21日目 インドネシア→ベトナム ぎゅうぎゅう詰め


昨日の夜から

今日の朝にかけて

夜行バスでの移動

チケットを買うと

出発はPM7:00

俺は

車内で

ずっと待っていた

そして

PM7:00



出発しない…

どうやら

こっちのバスは

座席が

いっぱいにならないと

出発しないらしい

そして

PM8:00

観念したのか

ついに出発

しかし

また

すぐに

わき道に

止まる

そして

なぜか

ぞくぞくと

人が乗ってくる

しかし

まだ

埋まる様子はない

すると

出発

やっとか…

だがしかし

また

止まる!!

また

ぞろぞろ

人が乗る

PM10:00

とうとう出発!!

バス内は

ぎゅうぎゅう詰め

エアコンがなければ

死んでいたでしょう

隣と人と

密着状態

というか

肩組みしてる 笑

しかも

荷物のおおい

俺は

足は

もう

逆向いちゃってます

これで

10時間

……

大丈夫か?



思いきや



ばっちり

七時間睡眠 笑

ちっちゃいころから

乗り物に乗ると

寝ちゃうという

癖は

未だに

継続中でした

そして

AM8:00

バスターミナル到着

そこから

空港に行き



ベトナム行きの飛行機

待ってます

ベトナムは

どんなところかな

わくわく

どきどき

20日目 インドネシア 面影


今日は朝からのんびり

完全に

ソロの町の

のんびりさに

やられたみたいだ

近くの食堂で

飯頼むと

また違うのが

出てきた

もう

うまけりゃ

何でもいいや

今日で

インドネシアも最後

明日には

ベトナムに旅立ちます

チラッと見た

前の人の

パソコンに

その人のどアップが

壁紙だったので

見てはいけないものを

見たみたいです

インドネシアは

気候がどことなく

沖縄に似ている(ここに限らず東南アジアは似ているか)

また

ものすごい

海がきれいだった

そして

高い山も

いくつか

ある

旭川の

盆地に生まれ

沖縄の

大学に通っている

俺には

いいとこ取りのような国だった

異国の地で

故郷の

面影を感じるのは

何か

不思議な気持ちになりますし

何ともいえない気持ちになります

ホームシックまでは

いきませんが

やっぱり故郷が好きな自分と

次にいく新たな地への

期待感



ちょっぴりの

不安

それが

最高に

楽しいです

これから

夜行バスに乗り

ジャカルタまで

行きます

所要時間

約12時間

おなか壊してたら

終わりです

19日目 インドネシア ローカル交通

今日は

近くに

寺院があると聞いて

そこに向かう

エアコンもないような

ローカルバスに乗って

そこから

一時間

到着すると

ものすごい雨

これが

東南アジア名物

スコールか

その

スコールの洗礼を浴び

仕方なしに

トンボ返り

だけど

その

往復のバスは

すごく楽しかった

インドネシアのバスは

降りたいところからおりて

乗りたいところからのる

前と後ろに係員がいて

その人に

半ば走りながら

引っ張ってもらって

飛び乗る感じ

乗ってくる人は

学校帰りの小学生

買い物帰りの主婦

よぼよぼのばぁちゃん

それに

窓からの景色は

棚田になっている

農家という

ものすごい素朴な風景に

心安らぐ時間でした

それで

往復130円

俺の実家から

高校までは

片道310円

安い

ローカル線に乗るのは

楽しいと感じた

その後は

昨日行ったモールに行って

日本食屋があったので

カツ丼を食ってみた

そのカツはチキンだったんので

正確には

チキン親子カツ丼だ

インドネシアは

イスラム教徒が多いから

基本豚肉はない

だから

トンカツはないのですね

食べてそうで

食べたことがなかったかも

チキン親子カツ丼

18日目 インドネシア のんびり休憩





バスターミナルを出発

そのまま

宿を探して

一軒目で

安かったので

泊まった

そこから

今までの長距離の

疲れがどっしり来て

そのまま

爆睡

起きると

お昼ごはん時だったので

近くを

ぶらぶら

食堂があったので

そこで

飯食う

注文したのとなんか

違うのつくってたけど

まぁいいや

と思い

食ったら

うまかった

あと

近くに

モールみたいなのが

あったので

そこで

日用品買って

後は

のんびり

町を

ぶらぶら

なんか

ソロっていう

町は

のんびりしてる

17日目 インドネシア イジェン火口湖



AM4:00

朝起きて

目覚ましに

イジェンのコーヒーを

こっちの

コーヒーは

粉薬みたい

そして

ついに

火口湖に出発

それまでの道のりは

やたら険しい

びっくりするぐらいの

オフロード

もともとは

舗装してあったのだろうけど

今は

コンクリートが

めちゃくちゃになって

逆に走りづらくなっている

ワゴンは

常に

はね続けている状態

乗っている

俺は

ロックフラワーのように

くねくね

動いている

そうすること

二時間

イジェンの入り口に

到着

ここから

山を登っていく

最初は

軽快に登っていくのだが







つらい…

なんだ

この坂道!

サンタプレゼントパークのほうが

全然ゆるいわ!!

そんな山を登っていると

地元の人と

たくさん

すれちがう

ここ

イジェンでは

硫黄が取れるので

ここに住んでいる人たちは

それで

生計を建てているらしい

硫黄の

総量

200Kg

それを毎日

2往復

するらしい

ただ歩いているだけでも

そうとうきついのに

少し持たせてもらったが

相当の重さだった

地元とのひとの

たくましさをしった

そんな人たちと

すれ違いながら

登り続けること

約1時間

やっとこさ

火口湖に到着

硫黄をかためる為の

煙が

立ち込める中

その中に

エメラルドグリーンの

湖が

ガイドブックでは

コバルトブルーって書いてあったけど

そんなの

関係なしってぐらいの光景

もっと近くにいけるということなので

クレーターまでおり

火口湖に手を突っ込み

働いている人達を

じっくり観察してきて帰ってきた



とっても空が近く感じた

たくましい人たちと

神秘の湖

対照的なものであるけれど

すばらしい

調和だった

そこから

山を降り

他の人たちは

フェリーでバリ島へ

俺はドライバーと

ブロモに戻り

ソロへ

バス移動

またそう移動時間

約16時間

しかも

また寝過ごして

変なところで

降ろされた

少し歩いて

なんとか

バスターミナル到着

AM0:00

そのまま

朝まで

バスターミナルで待機

日が出たら

宿探そう

2010年3月20日土曜日

16日目 インドネシア 神の山

今日は

朝早くから

ブロモ山に登る

まずは

ビューポイントと呼ばれる

隣の山に

そこからの

朝日が最高らしい

しかし

本日は

ものすごい霧

朝日を拝むことが出来ず

残念

次は

とうとう

ブロモ山に

登る

ブロモ山には

階段がついていて

それを登っていくのだが

それが

きいつきつい

何段あるかは

わからんが

息を切らしながら

登った

途中で

断念している

ばぁさんがいた

それを横目に

登りきると

まだ

あたり

一面

霧だらけ

まるで

雲の中にいるようだ

ここもか…

そんな

残念な気持ちと

裏腹に

どんどん

霧が晴れてきた!!

遠くに見える

山々と

未だに活動を続ける

ブロモ山が吹き上げる

噴煙

その中にいる自分は

天空にいる気分

神の山として

崇められるのも

わかる気がした

宿に帰ってきて

 次に目指すは

イジェン火口湖

ワゴンに乗り込み

ロシア人の女性と

スイス人の兄妹と

四人で出発

結構な

長距離移動だ

途中

昼飯休憩があった

そこで見た

海が

とってもきれいだった

ちょっぴり

沖縄を

思い出したりもした

そしてそこからは

がんがん

飛ばすワゴン

こっちの運転手は

前から車が来ようが

トラックが三台並んでいようが

がんがん

追い抜きます

そうやって走ること

10時間

目的地

イジェンへ到着

今日は

コーヒー農家で

一泊

明日の




火口湖まで

登る

楽しみ

15日目 インドネシア お別れと神の山へ

今日で

マチャとマリとは

お別れ

3馬鹿による

東南アジア周遊はここまで

二人とも

楽しかったよ

ありがと

二人と別れた後

俺は

ジャワ島の

最東端にある



イジェンを目指すことに

その手前には

神の山と呼ばれる

ブロモ山があるので

まずは

そこに行くことに

バスでの移動は

まず

スラバヤというところまで

電車で

五時間

そこから

バスで

七時間

バスに乗っている間に

俺は

長い眠りに…

そして

パッと

起きると

バスの車掌さんと目が合った(インドネシアのバスには車掌さんがいる)

車:どこにいくの?

俺:ブロモまで

車:!!??

俺:????

車:なんだって!早く降りなさい!

そういわれ

真っ暗な道に降ろされた

どうやら

寝過ごしていたらしい

すると俺の周りにはわらわらと

人だかり

人:どこいくの?

俺:このホテルまで行きたいんですけど…(ガイドブックを見せる)

人:わかるよ!俺のバイクタクシーに乗りなよ!

そういわれ

バイクの後ろにまたがり

目的地へ

バイクは

山道をぐんぐん飛ばす

後ろに乗っている俺は

何度か振り落とされそうになる

運転手は

そんなこと

気にする様子は無く

時速80キロメートルで

ぐにゃぐにゃ山道を

飛ばしていく

そして走ること

約30分

ブロモ山の手前の村

カディサリ村に到着

かなりの長時間の移動に

疲れが見え始めていたが

明日は

ブロモ山の朝日を

見に行くために

AM4:00起床

頑張ろう

14日目 インドネシア ボロブドゥール



ジョグジャカルタに着き

宿へ

そこから

今日は

世界最大の寺院ボロブドゥールヘ

ここにも

レリーフがたくさんあり

それは

ブッダが生まれて

みんなに

仏教を広めていくところまでが

描かれています

楽しいのは

ブッダ 学校へ行く

というレリーフや

ブッダ 結婚するが出家を決意する

ブッダ 美女で悪魔の誘惑にまけず悟り開く

などがあります

わかりやすい

レリーフが

たくさんありました

頂上に上ると

いい景色が広がっていました

三角錐の中には

大仏が入っており

それを触ると

幸運になるということで

みんな

穴から手を突っ込んでます

楽しかったボロブドゥールを後にして

晩飯を食いに

行ったところは

地元の人しか

来なさそうなところ

英語でしゃべっても

全然通じない

すると

どんどん人が

集まってきて

何とか言葉が

通じる人が出てきて

なんとか注文できた

その後も

全然わからない言葉で

話しかけたり

かけらたり

全然会話が成り立たなかったけど

何か

すごくたのしかった

インドネシアの人の

暖かさに

今日も

また

触れました