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2010年7月2日金曜日

6月27日 119日目 ケニア 自ら手繰り寄せて

ケニアでは

数年前

大統領選挙がありました

ケニアではその選挙の影響で

部族が

対立していました

ケニアでは

キクユ族という部族と

その他の部族が対立し

殺し合いや

破壊行為という

暴動が各地で行われた

ケニアの西部に

ある少年がいた

少年は小さい頃

親をエイズで亡くし

キクユ人の知り合いに

育ててもらっていた

しかし

キクユ人は

東部で主に生活している部族で

西部にいるのは

とても危ない

キクユ人の知り合いは

何の連絡も無しに

蒸発してしまった

少年は

文字通り

一文無しになり

家もなくなり

ストーリーとチルドレンになった

その頃

東部の方では

一人の日本人が

サッカーの指導をしていて

ケニアの全国紙に取り上げられた

その新聞には

してもいないのに

「恵まれない子のホストをして育てている」

というニュアンスの記事になっていた

所は戻って

西部

ストリートチルドレンになったそのこは

荷物を運んで

日銭をもらって

何とか生きていた

そのとき

ひょんと新聞を見たときに

「日本人がホストして育てている」

という記事を目にした

これだ

彼はそれから二ヶ月

彼は日銭を稼ぎ

バス代は足りなかったが

何とか交渉して

日本人の住んでいる

街へとたどり着いた

日本人のサッカー教えているところに

すごく汚い格好をした

ストリートチルドレンがやってきた

しかし

すごくきれいな英語を使っていた

ストリートチルドレンは

基本は

学校に行かないので

英語などしゃべれるわけない

話を聞くと

そういううわけであった

しかし

そこで

その話を鵜呑みにするわけにはいかない

もしかしたら

うそをついて

お金が欲しいだけの可能性がある

彼には

帰りの運賃を渡し

親の死亡診断書

そして

州の区長に

手がみを貰ってきたら

支援をしようと

約束した

それから

一週間後ぐらいに

区長から電話

「こういう子どもが来たんだがどういうこと?」

説明をすると

「わかった手紙を書いて、うちでしばらく預かろう」

そういって

しばらくすると

また日本人が住んでいる町にやってきた

そして

日本人は支援を始めた

少年は

行った学校で

いきなり勉強で一番をとり

朝3:30におきて勉強して

州で一番の高校に入った

日本人はそんな彼を

実の息子のように

支援続けているのでした





誰かを助けようと思っても

限りがある

お金

体力

その他諸々

それを選ぶのも難しいこと

だけど

実は

それは

もしかしたら

自分で手繰り寄せることができるのかも

こんな風に

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